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2019年07月の日記
2019年7月15日(月)

 かつてタイトルに偽りなく“ほぼ毎日”日記を更新していた頃は、3日も開くと「あかんあかん、何か書かないかん」と仕事でもないのに妙なプレッシャーに襲われていたものだが、こないだ日記を4カ月休んでみたら、今や1カ月の休みなど休んだうちに入らないような気になってしまうとは恐ろしい(笑)。で、仕事と余暇と身の周りの人と行きつけのお店だけとの心地よい緊張と緩和、集中とリラックスの穏やかな日々を過ごしていたのに、こないだうちから数軒のうどん屋とそこにいた客とさらに私の周りの数人の友人知人から立て続けに「ケンミンSHOW、見ました? あれ、何か言うてくださいよ」と言われて、何か書かなかんようになったやないの。ま、無理に書かんでもええんやけど(笑)。

 さて、見た人には言うまでもないが、こないだの『秘密のケンミンSHOW』で讃岐うどんがテーマになっていて、VTRを挟みながら香川県出身の松本明子さんと中野美奈子さんがいろいろ讃岐うどんについてコメントしていた。私はあの番組を途中から10分ぐらいしか見てないので詳細はわからないが、数軒のうどん屋とそこにいた客と私の周りの数人の友人知人が言うには、

「番組によると、香川では毎日8玉食べる人はザラにいるそうですよ(笑)」(私は1人知っとるけど、ザラにおるかい!)

「番組によると、香川県民はうどんを“飲む”そうですよ(笑)」(噛む回数は県外人より少ないかもしれんけど、噛むわ!)

「番組によると、香川県民は釜玉を食べないそうですよ(笑)」(うどん屋の人の話によると県外客は盛んに釜玉を食べているようだが、そもそも釜玉は香川県人が食べていたから定着してきたのであるから、今も釜玉を食べる県民はなんぼでもいます)

「番組によると、香川では以前、セルフのうどん屋しかなかったそうですよ(笑)」(香川のうどん屋は「食堂のうどん」と「玉売りの製麺所」が発祥で、その後に「フルサービスのうどん専門店」と「職人型の大衆セルフ店」ができてきて、今どんどん数を増やしている「ファストフード型の大衆セルフ店」は一番新しい形態だ)

……等々。みんな(笑)や(苦笑)付きで言っていましたが、まあ、もう「しょうがない」と言うしかないわなあ(笑)。

 東京のテレビ制作者は讃岐うどんのことなんか知らないだろうから、たぶん勝手に視聴者受けしそうなトンチンカンなストーリーを描いて、それに沿った素材を手っ取り早く集めて編集しているのだろう。松本明子さんと中野美奈子さんも1990年代後半から始まった「讃岐うどん巡りブーム」以来香川でほとんど生活してなかったはずだから、たぶん現場で何が起こっていたか等の詳しい事情はほとんど知らないのだろう(ま、台本に沿って言わされていたとしても、トンチンカンな話があればせめて「それは違う」くらいのことは言って欲しいけど)。また、東京の制作者に情報提供したり監修したりする地元の担当者の中にも、曖昧な認識で(あるいは意図を持って)あり得ない話を大げさに伝えたりする人がたくさんいるんだろう。

 けど、テレビ業界のそういう構造は当分変わりそうにないから、やっぱり「しょうがない」と言うしかないわなあ。まあ、全国の人に讃岐うどんの現状や香川県民の意識を誤解されても、別に直接的に讃岐うどん界に実害があるわけじゃないから、「無視されるより、内容が微妙でも全国ネットに露出した方がええか」ぐらいで喜んどきますか(笑)。

***

 ちなみに、『秘密のケンミンSHOW』に先立って、NHKもどうしたことか、今年に入って立て続けに番組の中で「讃岐うどん」をネタにしていましたが、こっちはもうちょっとよろしくない編集が散見されました。

 まず、おなじみ『チコちゃんに叱られる』で「讃岐うどんはなぜこんなに有名になったのか?」みたいなテーマが取り上げられて、そこでは、

(1)昭和50年頃、観光客が讃岐うどん店の足踏み工程を見て「不衛生ではないか」と指摘し、これが問題となって「足踏み禁止」への動きが起こった。
(2)それに反発したさぬき麺業の先代香川社長が県に申し立てをし、「足踏み禁止令」が出るのを阻止した。
(3)それを機にうどんの機械化が進み、機械化によってどこでも誰でもうまいうどんが作れるようになって、全国に讃岐うどんの店が一気に広まった。

という内容の話が紹介されていました。

 さらに続いて、『新日本風土記』という日本の風土記番組(そんなジャンルがあるかどうか知らないけど)の権威とも言える番組が「うどん」をテーマに放送していましたが、その中で、讃岐うどんの歴史を、

(1)昭和50年頃、観光客が讃岐うどん店の足踏み工程を見て「不衛生ではないか」と指摘し、これが問題となって「足踏み禁止」への動きが起こった。
(2)それに反発したさぬき麺業の先代香川社長が県に申し立てをし、「足踏み禁止令」が出るのを阻止した。
(3)それを機にうどんの機械化が進み、機械化によってどこでも誰でもうまいうどんが作れるようになって、全国に讃岐うどんの店が一気に広まった。

という、『チコちゃん』で使ったのと全く同じストーリーを紹介していました。しかも、その後に続くナレーションでこんなことを言っていました。

「全国チェーンの店も機械を導入。日本中で讃岐うどんのブームが巻き起こりました。その結果、地元香川にも恩恵が。うどんを目当てに訪れる観光客が急増し、今やうどん県を名乗るほど」

 つまり、NHKによると、「うどん作りの機械化が進み、全国チェーンのうどん店がその機械を導入したことによって全国に讃岐うどんブームが巻き起こり、その恩恵を受けて香川にうどん目当ての観光客が急増した」とのことです。天下の『チコちゃん』と『新日本風土記』が断言した讃岐うどんの歴史だから、それはもう全国的に「正解」になっていくのでしょう。しかし、『本当のチコちゃん』は知っています(笑)。それは、全国的には正解と捉えられるのでしょうが、讃岐的には不正解、というより「歴史の捏造」です。

***

 詳細を書くと論文みたいになるのでものすごく端折って書きますと、香川県に「うどんを目当てに訪れる観光客が急増した」ことの経緯は、こういう流れです。

(1)1980年代、香川県には約650軒のうどん店がありました。店の形態別の内訳は、
●フルサービスの「一般店」…約400軒
●大衆セルフ店…約150軒(ほとんどが職人のいる1店舗型の大衆セルフで、工場生産の麺を店に送り込む多店舗展開のファストフード型のチェーン店はごくわずか)
●製麺所型店(玉の卸しを本業とする店)…約200軒
 この数字は、後に私が編集発行した『讃岐うどん全店制覇』の「開業年リスト」と、後述する麺聖森村が1990年に約630軒のうどん店を採点紹介した『うどんグルメの旅』から割り出したものですから、数十軒の差異はあるかもしれませんが、概ねこんな感じだったと思います。そして、これほどのうどん店が地域に定着したのは、NHKの言う「機械化」をはじめとする業界の皆さんの努力の積み重ねの結果であることは言うまでもありません。

 ただし、1980年代は「全国からうどんを目当てに訪れる観光客が急増する」という事態は全く起こっていませんでした。

(2)1980年代終盤から90年代初頭にかけて、讃岐うどん愛に溢れる有志たちが独特の視点で讃岐うどんの店を紹介し始めました。代表的な動きとしては、

●1989年…『月刊タウン情報かがわ』で、怪しい製麺所タイプのうどん店をはじめとする“針の穴場うどん店”のお笑い探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」の連載がスタート。
●1990年…麺聖森村が自らの足で食べ歩いて約630軒のうどん店に採点と寸評を付けた『うどんグルメの旅』を発刊。
●1991年…元西日本放送のディレクター上原冨士夫さんが、好みのうどん店55軒(うち県外のうどん店13軒)を紹介した『さぬきうどんうまい店巡り』を発刊。
●1993年…『月刊タウン情報かがわ』の「ゲリラうどん通ごっこ」を加筆再編した『恐るべきさぬきうどん』第1巻発刊。
●1994年…『恐るべきさぬきうどん』第2巻発刊。(以下、5巻まで発行)

 このあたりで、全国の雑誌が「讃岐うどん巡り」におもしろい動きが起こっていることに気づき始めたわけです。そして、90年代中盤から2000年代初頭にかけて、ものすごい数の全国雑誌と全国ネットのテレビ番組が「楽しい、怪しい、おもしろい讃岐うどん巡り」を立て続けに紹介しました(全国ネットのグルメ系、レジャー系、トレンド系、経済系、バラエティー系の雑誌とテレビ番組はほぼ全て、讃岐うどん巡り特集を何度も組みました)。その結果、「全国からうどんを目当てに訪れる観光客が急増する」という状態が生まれ、2000年頃にブームはピークを迎えたわけです。

(3)ブームのピークを背景に、讃岐うどんの店(ファストフード型の大衆セルフ店)を全国展開するチェーン店が出現しました。当時、全国展開を始めた主なチェーン店は、

●2002年…「はなまるうどん」が渋谷の1号店を皮切りに全国展開を開始。
●2002年…JR四国の「めりけんや」が恵比須の1号店を皮切りに全国展開を開始。
●2002年…ブックマーケットを経営するフォーユーが「さぬき小町うどん」の名称で札幌の1号店を皮切りに全国展開を開始。

の3つです。繰り返しますが、『チコちゃん』と『新日本風土記』の言う「うどん作りの機械化が進み、全国チェーンのうどん店がその機械を導入したことによって全国に讃岐うどんブームが巻き起こり、その恩恵を受けて香川にうどん目当ての観光客が急増した」という歴史は、順番が全く違います。

(4)2004年頃になると、香川県内のマスコミや識者(私は入っていない・笑)の間で「讃岐うどんブームはピークを越えて衰退期に入った」という論調が出てきました。私は常にフィールドワークをしていたので「衰退の兆しはそれほど見えない。人気店の選択と集中が始まっただけだ」と言っていたのですが、そこへ讃岐うどん巡りブームに熱い思い入れを持つ本広監督が現れて、ブームの勃発からピークに至るまでをテーマにした映画『UDON』を製作。2006年に映画が全国で公開されると、それを機に「讃岐うどん巡りブーム」は二段ロケット噴射! 続いて2009年に「瀬戸大橋の通行料が土日上限1000円」が始まって、ブームの三段ロケットが激噴射! 宮武の大将が「死ぬ思たわ!」という「讃岐うどん巡りブーム最大のピーク」が訪れました。それが2010年頃です。

 ちなみに、今、全国の多くの方々が讃岐うどんの全国チェーンの代表だと勘違いしている丸亀製麺が店舗展開を本格化したのは2000年代の後半から、香川県が「うどん県」宣言をしたのはブームが3回目のピークを迎えた後の2011年です。

***

 また、先述の『新日本風土記』では、讃岐うどんの紹介の冒頭で「米だけに頼れない生活を支える大切な小麦。小麦をおいしく食べることが、この土地で生きることでした」というナレーションがありましたが、これもそうじゃない。昭和20〜30年代の「米だけに頼れない生活」を支えていたのは小麦ではなく、圧倒的に「裸麦(大麦)」です。当時の香川の麦の作付け面積のデータを見ても、圧倒的に裸麦です。

 さらに番組では、足踏み問題から機械化への流れについてこんな紹介をしていました。まず、「観光客から“足踏みは不衛生だ”というクレームが保健所に寄せられた」という昭和50年4月14日付の朝日新聞の記事を紹介。それを受けて、「「間に立った香川県の衛生課は、足踏みの機械化を検討」というナレーションが入りました。ところが、その後、画面が足踏み機械の開発に取り組んださぬき麺機のVTRに変わったら、そこにナレーションで「機械メーカーが注目したのは、その頃農家でよく見かけたワラを柔らかくする機械。そして昭和41年、1号機が完成」だって(笑)。

 さぬき麺機のホームページで確認したら「1965年(昭和40年)、香川県(本場讃岐)が禁止した足踏み工程の代用機として生まれたさぬきの製麺機」とあったので、1年違うけど製麺機第1号は昭和40年か41年で正しいのでしょう。すると、昭和50年に足踏み問題が起こって(ホームページでは「足踏み」を県が禁止したとあるけど、どっち?)、それを受けて県が足踏みの機械化の検討を始めて、昭和41年に1号機が完成したって、どういうこと?

 まあ、「機械は昭和41年に完成してたけど、県が足踏みの機械化を検討し始めたのが昭和50年」という話じゃないかと思いますが、あんな編集をしたらメッセージがおかしくなる。「答えありき」の編集をしてたらああいう変なことになることがよくありますが、まあええか。しかしあのNHKの立て続けのおかしな歴史認識を見せられると、裏で何か大きな力が動いているのかとさえ思いますが(笑)。(笑)を付けたけど半分は笑ってないぞ(笑)。

 まあそうやって讃岐うどんの歴史を捏造されても、どこかの国と違って讃岐うどん界が実害を被るようなことさえなければ、我々1990年代の一大プロモーションに関わった者たちは心が広いので(笑)表立って誤った歴史認識の是正には動かない。感情的にならず、「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」で淡々と歴史の「ファクト」の発掘にいそしむのみ。あ、今、「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」はHP上で「新聞で見る昭和の讃岐うどん」のコーナーが着々と進んでいますので、お暇な方はぜひご覧ください。あれはかなり、正調「讃岐うどんの昭和史」としておもしろいです。

 ふー、端折ってもこれぐらいになるか。気分転換とは言え、何時間仕事の手を止めたんや(笑)。
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