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2019年09月の日記
2019年9月20日(金)

 数日前に私の周りの誠実な讃岐人と讃岐うどんファンたち(もうええか)数人から「こないだの日記、ツイッターでバズりまくりですよ」とかいうご注進(笑)があったのだが、「バズ」などという単語は私はケンとメリーのスカイラインしか知らんので解説付けとってくれ(笑)。ま、知ったとしても(知ってるけど・笑)私は絶対使わんけど。

 で、私はツイッターもしないしフェイスブックもインスタもしない…という以前にスマホすら持っていないので、「そうですか」とか言いながら、三連休最後の月曜日に車で高速通って3時間かけて丹波篠山へ焼き栗を買いに行ったのであった(笑)。

 そこで焼き栗の店を3軒回って「ええぶん」と「普通のぶん」と「変わったぶん」(いずれも私的評価)の3種を買って帰ってきて、さっそく家で『インタレスト』の学生たちが必死で集めて分類したデータを前にして編集の切り口を考えながら、まずは「ええぶん」の焼き栗を食べていたら、数少ない友人たちからさらに「もっとあるでしょ。バンバン言うてくださいよ」とかいう要望が来たのである(言ってきた仲間8人中、おもしろがり係が2名、煽り係が5人で、ブレーキ係はいつものように和D画伯1名・笑)。

 もっとあるけどさあ(笑)。こないだは「情報発信のモラル」と「讃岐うどんの麺作りの外形的基本」のことだけを書いて、蛇足で私の所に集まってきた現在情報とそれをサポートする最低限の過去情報を並べたら、その「蛇足」のところだけをみんなが煽り立てているようだけど、そういうのが大好きな君らが大喜びしそうな過去情報はあと4割ぐらいあるけどさあ(笑)。そういうのはこれ以上はちっとも建設的でないから、もうええが。あとはみんな、ちゃんと目に見えるファクトをロジカルに組み立てていったらいろんなことがわかってくるから、自分で考えてくれ(笑)。

 例えば、丸亀製麺は「全ての店で粉から作る」ということは全ての店で少なからず「違う麺が出ている」ということになるので(確か、丸亀製麺もそう言っていたと思う)、そこから理屈で普通に考えたら、流れてくる情報や自分の発信する情報が自分なりにロジカルに整理できてくるはずである。例えば、「丸亀製麺のどこそこ店の誰それが打った麺は天才的に旨い」とか(職人の腕によってはそういう店もあるんじゃないか?)「あの店の誰それが打った麺はイマイチだな」とかいう店ごとの自分なりの評価をするのならわかるけど、丸亀製麺の店の麺を全部一括りにして「旨い」だの「旨くない」だの言うのはちょっと違うということがわかる。あるいは、丸亀製麺の言う「これが丸亀食感」というコピーには「全店が同じ麺」というニュアンスがあるから、少々矛盾を含んでいるな…ということもわかってくる。また、人の文章も“ロジカル”を意識して読むと、「これは何を言っている」、そして「何は言っていない(何については言及していない)」ということもわかってくるから(ちなみに、私はこないだから讃岐うどんのクオリティについては「麺作りの基本」のことしか言っていないからね)、あとは自分で考えてくれ(笑)。

***

 というわけで、今回は久しぶりに四国新聞の記事から。

 こないだのマラソンがあった日、丸亀市の職員が浅草のマラソンコースの沿道で観客に「丸亀うちわ」を1万本配布したそうで、翌日の四国新聞にその様子が写真付きで載っていた。記事によると、「うちわは環境に配慮した竹製で、縦37センチ、横24センチ。表面には同大会のロゴマーク、裏面には『丸亀うちわ』の文字が入っている」とあったのだが、写真を見ると、そのうちわは普通の丸いうちわの形で白い紙がベースになっている。それを見た私の第一感は、

 「もったいないなあ」

であった。どういうことか?(こないだ使ったこのフレーズがマニアックな理由でA藤だけにウケたので、もう一回使ってみた・笑)

 商品のマーケティングの最重要と言っても過言ではない要素は、私ごときが言うまでもなく、「差別化された付加価値」、すなわち「他の競合商品にない特徴」である。では、丸亀うちわの競合に対する最大の差別化要素は何か? 丸亀うちわの製品をよく知らない人はネットか何かで過去からの丸亀うちわの写真をくまなく見て、こう想像して考えてみてください。

 「日本三大うちわ」と呼ばれる丸亀うちわ、京うちわ、房州うちわをはじめ、全国のありとあらゆるデザインのうちわを1000本ぐらい集めて並べて眺めた時、「あ、あれは丸亀のうちわ!」とわかるうちわはどれか?

 一目で「他と違う」とわかるのは、たぶん、あの茶色がかった朱色の無骨にゴワッとした、かつて真ん中にマルキンマークの入ったあのうちわだと思う。ということは、あの朱色のゴワッとしたうちわが、最も差別化されたうちわだと言える。すると、PR用に大量に配って露出する丸亀うちわは、あの「朱色のゴワッとしたやつ」(もちろん、形やデザインは今風に仕上げて)をベースにした方が絶対インパクトがあったのではないか?

 かつて、丸亀うちわは甲子園の高校野球の応援によく使われていたが、もし、あの頃から継続的に「朱色のゴワッとした丸亀うちわ」をいろんな場面でなるべく大量に露出し続け、デザインアップも「朱色のゴワッとした形状」をベースにもっと展開していれば、丸亀うちわは全国の人に「丸亀のうちわ? ああ、あれか」という認識が浸透していたのではないかと。そして、遅ればせながらも、今からでも「あれ」を再プロデュースした方が、中期的に「丸亀うちわ」のイメージやステイタスが差別化されて浸透していくのではないかと。

 まあ、地域の経済活性化的に言えば、扇風機とエアコンが普及した今日、構造的不況業種と言わざるを得ない「うちわ」にそれほど大きな期待はできないが、それでも微々たる活性化を目指すのなら、マーケティングの基本である「差別化された付加価値」は常に最優先で意識しておいた方が、ムダ打ちが少なくなると思う。

 何か「丸亀」つながりみたいになったが(笑)、丸亀製麺もはなまるも、というより全国から世界中のありとあらゆるビジネスをやっている人たちはみんな、「差別化された付加価値」を必死で探して商品開発やマーケティングをやっているのである。「行政はビジネスとは違う」と言う人がたくさんいるが、行政だろうが宗教だろうが何だろうが、「多くの人に知ってもらいたい、多くの人に興味を持ってもらいたい」と思った瞬間、厳しいマーケティングの世界に入るのである。すると、必然的にそこでは「マーケティングの手法」が有効になり、求められることになる。まあ、「やること」が目的で「特に成果は求めない」というのなら別にいいけど、せっかく頑張って出かけていくのなら少しでも成果が上がった方がいいじゃないかと、老婆心ながら思った次第である。というわけで、こんな感じでええかな、和D(笑)。
2019年9月14日(土)

 今年に入って『秘密のケンミンSHOW』やNHKの『チコちゃんに叱られる』や『新日本紀行』で立て続けに「讃岐うどんの歴史や習慣についてのあまり正しくない情報やとんでもない間違い情報」が流れたばかりだというのに、またまた全国ネットのメディアで「讃岐うどんのデマ」が流されていたという話が入ってきた。別に私は「讃岐うどん警察」じゃないから普段から目を皿のようにしてそういうものをチェックしているわけではないのだが、私以外のそういうものを目を皿のようにしてチェックしているらしい誠実な讃岐人や讃岐うどんファンたちから「あれはいかがなものですか?」「何か言うてくださいよ!」等々の熱い“ご注進”がたびたび入ってくるので仕方がない、ちょっと触れるか。

 こないだ、といってもなかなか日記を更新しないもんでもう2カ月くらい前の話であるが、「ブラマヨの番組で丸亀製麺の特集があって、またいい加減なこと言うてましたよ」という“ご注進”があったので、映像を入手して確認してみた。すると、関テレ(関西ローカル)の『ウラマヨ』というブラックマヨネーズの冠番組で丸亀製麺の特集をやっていて、丸亀製麺の社長がスタジオで、ブラマヨをはじめ出演者を前にこうおっしゃっていた。

***

「田舎が香川なんですよ。ちょうど讃岐うどんブームというのが起き始めましてね。名もない小さな製麺所にですね、県外から車で食べに来ているわけです。入り口からお茶碗持って皆さん並ぶわけですわ。そして、恭しく、釜からうどん入れてもらって、醤油だけつけて食べるんですよ。たったそれだけなのに行列ですよね。お客さんは商品のために来てるんだと。だから手作り、できたて、しかも目の前でというのが大事かなと思って、そのコンセプトで作ったのが丸亀製麺」

***

 VTRから起こしたのでほぼ間違いなくこうおっしゃっていて、それを聞いたブラマヨをはじめとする出演者の人たち全員が「そうだったんですかー」という感じで番組はそのまま流れていったのだが、ブームの火付け集団(笑)であり、その後つぶさに現場をフィールドワークしてきた麺通団の団長の私が断言する。

 それはウソです。

 「田舎が香川」に突っ込む人もいるだろうが、そこはどうでもいい。そこじゃなくてその後の話。ブーム発祥以来20数年、私は讃岐うどん巡りブームの現場において、「入り口からお茶碗持って皆さん並んで恭しく釜からうどん入れてもらって醤油だけつけて食べる」などというシーンは一度も見たことがないですよ(笑)。

 揚げ足を取るようで申し訳ないが、全国ネットでそんないい加減なことを言っちゃいけません。まず、「入り口からお茶碗を持って客が並ぶような店」とは要するに「飲食業の許可を取っていない製麺所」のことであるが(飲食許可がないから客に飲食のためのサービスができない)、そんな店は当時700軒以上あったうどん屋の中でほんの数軒しかなく(表に名前が出てたのは「道久」と「橋本」と初期の「池上」ぐらい)、しかもそういう店はいずれもマニアしか行かないような激レアの超穴場だったから、一見の県外客がそんな店で「県外から車で食べに来て、入り口からお茶碗持って並ぶ」などというシーンが見られたはずがない。

 次に、客がそういう店に持って行くとしたら「丼」かせいぜい大きめのお椀であって、決して「お茶碗」ではない(笑)。

 次に、「恭(うやうや)しく」というのは、蕎麦やラーメンと違って「緩い」ことが最大の特徴である讃岐うどんの世界とは真逆の感覚であって、讃岐うどんの現場を知る者が使う言葉では絶対にない。ご本人が「恭しく」うどんをもらったのかもしれないが、「名もない小さな製麺所」は押し並べて店の人と客との垣根がないのが普通なのだから、特にブーム当初には「皆さん(客)が恭しく釜からうどんを入れてもらう」などというシーンが当たり前のようにあったはずがないし、少なくとも私は見た記憶がない。

 次に、そういう「客に飲食サービスを提供できない店」は玉売りが主であるから、うどんをもらいに行くと基本的に「締めてセイロに載ったうどん玉」をくれるのであって、「持って行った丼に釜からそのまま取った麺(水で締めていない釜あげ麺)を入れてもらう」などという店は、麺通団団長の私でも見た記憶がない。

 さらに、釜から取ってもらった「釜あげ麺」に「醤油だけつけて食べる」などというメニューも、私は見たことがない。それは「醤油うどん」のことを指しているのだろうが、醤油うどんは「醤油をかけて混ぜて食べる」ものであって、「醤油をつけて食べる」という表現は讃岐うどんの世界では聞いたことがない。

 さらに、百歩譲って「醤油をつけて食べる」という表現がただの言い間違いだったとしても、麺がおかしい。醤油うどんの麺は基本的に「水締め麺」であり、社長のおっしゃる「小さな製麺所」で釜からそのまま取った「釜あげ麺」に醤油をかけて食べるような店はほとんどない。そんな食べ方は、製麺所なら常連さんが頼んで出してもらうような「わがままな注文」の食べ方であり、ブームの後で「わざと釜あげ麺を使った醤油うどん」(「釜醤油うどん」?)を出す一般店も数軒出てきたが、それも極めて希な例であるから、一見の観光客がおいそれと目にできたはずがない。

 よって、先の社長のコメントは一般論としても間違いだし、体験談として言ったのなら(そこはスルッとぼかしていたが、流れは体験談風に話していた)、それはウソのストーリーである。

 加えて「お客さんが目の前で手作りするできたて商品のために来ている」というコメントも、「讃岐うどん巡りはレジャーとして当たった」というブームの本質から言えば、明らかに的を外した見立てである。

 以上から推測するに、あのコメントの「体験談」も「ブームの見立て」も全て、おそらく丸亀製麺が今、全国ネットのCMでバンバン流している「丸亀製麺は全ての店で粉から作る」というコンセプトをサポートするために後付けで加えたウソのストーリーとロジックではないかと思う。そして、もしそうだとすれば、それは「自分たちの主張を正当化するために事実を曲げて伝える」という、どこかの新聞がやっているような非常によろしくない行為だと言わざるを得ないのである。

 まあ、成功者が自分のストーリーを美化したり盛ったりするのはよく聞く話だけど、それにしても、いかに関西ローカルとは言え天下の関テレの有名な番組で、誰も知らないと思って「香川ではあり得なかったシーン」を「自らの体験談」としてしゃべれるというのはどういう了見か。誠実な情報発信をモットーとしてきた私(笑)にはちょっと理解できないが、まあ「世の中にはそういう人もいるんだ」ということを学習させていただいたということで、とりあえずこの件に関して我々「誠実な讃岐人と讃岐うどん応援団」としてはただ一つ、「讃岐うどん巡りブームの歴史のウソを全国ネットで広められるのは非常に不本意だ」とだけ申し上げておく。

***

 ついでに申し上げれば、あの「丸亀製麺は全ての店で粉から作る」というコンセプトについても、私も含めて私の周りの「誠実な讃岐人と讃岐うどん応援団」の多くは、かなりの違和感を持っている。違和感と言うより、一言で言えば「そんなことやっちゃダメだろう」という確固たる意見である。どういうことか? といっても別に難しい話でも何でもないが、文字でロジカルに説明しようとすると長くなるので、暇な人はしばしお付き合いを。

 今さら言うまでもないが、讃岐うどんの麺作りは、基本的に原料は小麦粉と塩水しか使わない。しかし、その製造工程には非常に多くの「職人技」が関わってくることになる。すなわち、

・小麦粉の種類
・塩の種類
・水の種類(「あたりや」の大将は毎朝山奥まで名水を汲みに行っていたし、「おか泉」の大将は水のペーハー調整までしている)
・塩分濃度
・加水率
・捏ね方
・踏み方(生地の鍛え方)
・畳んで踏む回数(麺生地の層の数が茹での出来具合にかなり影響するらしい)
・延ばし方
・切り方
・茹で方
・それらの全ての工程に関わってくる気温や湿度

といういくつもの要素において熟達した職人技が要求されるため、その組み合わせによって、出来上がる麺に無数の違いが生まれてくる。その途方もない天文学的な組み合わせの下では、当然マニュアル化できるような「正解」があろうはずはなく、先人たちは100年以上の歴史の中で気の遠くなるような試行錯誤を繰り返しながら、クオリティの高い麺づくりの技術を探り続けてきたわけである(もちろん、適当に作っていた人もたくさんいただろうけど)。そして、その中から天性の才能を持った人や、人一倍の向上心を持って麺作りに取り組んだ人たちが出現し、そこから「120点の麺」を作る“名人”が生まれ、その名人の下で修業を積んだ次世代の麺職人の中からまた、天性の才能を持った人や人一倍の向上心を持って修業した人が名人級の麺職人になっていく…というのが、讃岐うどんの麺作りの世界である(それは讃岐うどんに限らず、「職人」と呼ばれる世界の基本形である)。

 ただし、天性の才能や人一倍の向上心と修業をもって名人級の職人になる人は、そう多くない。例えば、香川でうどん屋や製麺屋の大将として「麺作り」に携わってきた人は、店の数から推測するに、戦後だけでおそらく数千人(想像もできないが、製麺所や職人型のうどん店の大将から見習いまで含めると5000人は下らないのではないか)はいると思うが、その中で「120点の麺」を作る「名人」に数えられるのは、讃岐うどん巡りブームが勃発した1990年代には「元祖・宮武」の大将とか「田村」の先代大将、「山越」の先代大将、「山内」の先代大将、「なかむら」の先代大将、「彦江」の大将、「宮川」の大将等々(当時を知る人はそれぞれ他に何人か上げてくると思うが)、おそらく10人いるかいないかである。

 またその後、ブームが第一次のピークを迎えた2000年前後から出てきた「第二世代」の大将たちの中でも「あたりや」の大将、「おか泉」の大将、「はりや」の大将、「安並」の大将等々、名人級は10人いるかいないかである。それらを全部合わせて戦後から今日まで、傑出した麺を作れる名人大将はおそらく20人いるかどうか、つまり、「数百人に1人」くらいの割合しか出ていないと思う。さらに、「90点〜100点の麺」を出す麺職人にまで広げても、せいぜい100人に1人だろう…というのが、30年以上にわたって讃岐うどんの現場を取材してきた私の印象である。しかも、その名人級の職人もいつも「満足のいく麺ができたと言えるのは数えるほどしかない」と口を揃えて言うように、とにかく「あんなシンプルな原材料なのに難しく、奥が深すぎる」というのが讃岐うどんの麺の世界なのである。

***

 そして、讃岐うどんの本場香川では、うどん業界に携わる人たちはたいていそういう「職人の世界」が、意識的にしろ無意識にしろわかっているのである。だから、うどん店が支店を出す時には、店の名を汚すことのないようにせめて「90点の麺を出せる職人」が育ってから(中には80点クラスでもよしとする店もあったが)、彼らをその店の麺作りを担う職人大将に据えて1軒ずつ店を増やしていく、というやり方をしてきたと言える。それは大衆セルフ系のうどん店も例外ではない。香川の大衆セルフ店は基本的に職人が店で粉から作る「職人型大衆セルフ」であり、それぞれの店で80点以上の麺を作れる職人大将が切り盛りしてきたため、そこでも「職人が育たなければ(確保できなければ)店を出せない」という意識がちゃんとあったと思う。だから、1990年代まで、香川では大衆セルフスタイルの店でも「ちゃんとした職人が用意できてから1店ずつ」という店舗展開がほとんどで、それが今のような「讃岐うどんの多店舗展開型チェーン店」が出てこなかった大きな理由の一つでもあった。

 そしてその後、ブームを背景に「はなまる」を皮切りとして「こがね製麺所」「こだわり麺や」等の多店舗展開型大衆セルフチェーン店が出てきたのであるが(私が分類上「大衆セルフ店」を「職人型大衆セルフ店」と「ファストフード型大衆セルフ店」に分けたのはそのせいです)、そうした「会社」は「短期間に多店舗展開するには80点以上クラスの職人の調達が間に合わない」という讃岐うどん界における根本的問題を解決するために、「工場で技術力を高めて麺の生地あるいは麺線を作り、それを店に送り込んで、最後の“茹で”の工程だけマニュアル化し、悪くとも70点以上の麺を店で出す」というシステムを導入したのである。

 理由はシンプルで、短期間に5軒も10軒も店を出して各店でそれぞれの職人に麺を作らせたら、その中には修業もセンスも足りない者が必ずいるため(80点以上クラスの職人を短期間に5人も10人も調達できないため)、中に50点以下の麺を出すところが出てくる恐れがあるからである。香川のちゃんとした讃岐うどん店は、暗黙のうちに「香川でうどん店を出す限り、そんなレベルの麺で堂々と“讃岐うどんでございます”と胸を張って店を出すわけにはいかない。そんな讃岐うどんの麺作りの先人や名人たちをナメたようなことはできない」という「讃岐うどんに対する敬意」を持っている。だから、多店舗展開をしながら店で出す麺のクオリティを落とさない(高める)ためには、工場における麺作りの技術を高め、工場生産で麺線あるいは麺の生地を店に送り込むしかない。そう考えるのが、香川の讃岐うどんにおける良心的な「ファストフード型大衆セルフ店」なのである。

 これを私なりの数字で整理すれば、

「職人が店で粉から作るうどん店」
 100軒〜数百軒に1軒くらいの割合で100点以上の麺を出す店があるが、打ち手に十分な修業とセンスがない店は60点以下の麺を出すうどん店になる。ちなみに、香川でも60点クラスの麺を出している店はかなりあり、中には私が中野うどん学校で松永校長に教えてもらって作るレベルの50点以下の麺を出す店もある(笑)。

「ファストフード型大衆セルフチェーン店」
 100点を超える名人級の麺は出せないが(工場のラインではさすがに名人職人の技はなかなか出せない)、コンスタントに70点〜80点の麺が出せる。また、技術力を高めれば、「日の出製麺所」や「おかだ(おか泉の工場生産麺を出す大衆セルフ)」みたいに工場生産で100点クラスの麺を作れる。もちろん、手抜き工場なら60点以下の麺が出てしまうが、客のレベルが高い香川ではそういう店はたいてい客が離れて淘汰される。

 という感じである。

 ところが、丸亀製麺は全国に800店、世界で1000軒を数える店の全てで「粉から作る」と謳っているのである。丸亀製麺は年中無休であり、営業時間も普通の一般店より長い。ということは、1人ではとても店を回せるわけがないので、どうしても1つの店に打ち手が2人以上必要になる。すると、1000店あれば総勢2000人以上の「粉からいじってそれなりのクオリティの麺を作れる“うどん職人”」が必要になるはずである。

 想像するに、丸亀製麺の「全ての店で粉から作る」というのはライバル(?)の「はなまる」の工場生産麺に対抗するコンセプトだと思うが、「はなまる」の工場生産麺は開業当初に比べるとずいぶん技術力が向上して、私の食べた感覚では「80点」レベルの麺はコンスタントに出していると思う。すると、「丸亀製麺」の麺が「はなまる」の麺を凌駕していると言うのであれば、90点級の麺を粉からいじって作れる職人が2000人以上いなければならないことになるが、もしそれが実現しているのであれば、讃岐うどんの常識からすれば、それは「奇跡」である。何しろ、この本場香川で100年にわたって5000人がうどん作りに携わってきて、その結果、90点以上の麺を作れるようになった職人が数十人単位でしかいないのだから。

 聞くと、丸亀製麺には全ての店の麺作り担当者の頂点に「麺匠」なる職人の方がおられて、その下に「麺匠」のお墨付きをいただいた「星付き」の麺職人の方が200人ぐらいいるそうである。「麺匠」なる方は香川で讃岐うどんの名店の大将をやっていた名人職人の方ではないそうだが、「名選手が名コーチや名監督になるわけではない」と言われるように、自分に実績がなくとも教育能力がずば抜けているのかもしれない。さらに、香川の讃岐うどんの師匠は毎日毎日弟子と一緒に店で自らうどんを打ち、その技術を見せながら何年も何年も教え込んでようやく一人前の麺職人を1人、2人育て上げているのであるが、それをやらずに「星付き」の麺職人(90点級?)を200人も育て上げたのであれば、これも讃岐うどんの常識からすれば「超人級の奇跡」だと言わざるを得ない。しかし、それはどう考えても無理だろう。

 ついでに言えば、仮に「麺匠」なる方が本場香川基準で100点、120点の麺を作れる名人で、200人の「星付き」職人が全員70点〜80点レベルの職人だとしても(その中に100点の麺を作る天才がいるかもしれないが、象徴的に言えば80点では「はなまる」と同じ、70点では「はなまる」以下)、残りの2000人くらいは60点台以下の麺しか作れないのではないか? もしそうなら(どう考えてもそうだと思うが)、そのレベルの職人が店で粉から作るより、良心的な工場生産の麺の方がクオリティが高いと思うが、どうなんでしょう。また、丸亀製麺の各店には製麺機が入っていて、足ふみや手延ばしといった職人技が要求される工程はほとんど機械任せだと思うが(私の見た限り、茹での工程もほとんどマニュアル化されて職人技の入る余地があまりないように見えたが)、それならほとんど手作りと言うより機械生産に近く、するとそこでも技術力のある工場生産の方がクオリティの高い麺ができると思うのだが。

 あと、「丸亀製麺は全ての店で粉から作る」というコンセプトをサポートするコピーとして「ここのうどんは生きている」「丸亀製麺は全店に製麺機を置いて、打ちたて、茹でたての味を実現」と書かれているが、そこにも少しあやふやな“まやかし”のようなロジックがある。まず、「全店に製麺機を置いて作るから茹で立ての味が実現される」のではない。製麺機を使おうが手打ちだろうが、作り置きして時間が経った麺でなく、茹で上がったばかりの麺を出せば「茹でたての味」が実現できる。つまり、麺を工場で一括生産し、茹でる前の状態でうどんの生地か麺線を店に送り、それを店で茹でて出している「はなまる」も、香川の「こがね製麺所」も「こだわり麺や」も当然、「茹で立ての味」が実現されているではないか。

 さらに、その茹で立てのうどんを指して「ここ(丸亀製麺)のうどんは生きている」と言うのであれば、「こがね製麺所」のうどんも「こだわり麺や」のうどんも「はなまる」のうどんも店で茹でるのだから「生きている」。「工場で作った生地や麺線が輸送中に死ぬ(劣化する)」と言うのであれば、仮に劣化したとしても(大して劣化するとは思えないが)、出来の悪い“作り立て”の麺線を茹でるよりクオリティは高い。つまり、「ここのうどんは生きている」というコピーは「ここ(丸亀製麺)以外のうどんは生きていない」というニュアンスがほのめかされていて、「誠実な讃岐人と讃岐うどん応援団」に言わせれば、JAROに引っかかるかどうかの(笑)グレーな“まやかし”に聞こえるのである。

***

 誤解のないように申し上げておくが、私は丸亀製麺のビジネスとしての自らリスクをとったチャレンジとその成功に対しては高く評価している。それは「はなまる」や「こがね製麺所」や「こだわり麺や」をはじめとする讃岐うどんビジネスの拡大に取り組んでいる各社に対しても同じで、ブーム以前まで讃岐うどん界の誰もやらなかったビジネスモデルにチャレンジしてここまで大きくしたのだから、讃岐うどんの歴史においてもそれは革命的な功績だと思う(ただし、その先駆者は「はなまる」や「めりけんや」である)。

 また、ビジネスを拡大するためにあの手この手を使ってPR戦略を展開することについても、私もビジネスマン出身だからよくわかるし、違法行為でない限り、好き嫌いの感情で不当に咎めるつもりも全くない。しかし、少なくとも「讃岐うどん」を名乗る限り、讃岐うどんの世界にあり得ないロジックを全国ネットで流すような、讃岐うどんの歴史や文化、技術、そして魂をないがしろにするようなことは、香川に住んで讃岐うどん巡りブームを起こした讃岐うどんを愛する「讃岐うどん応援団」として、なるべく控えて欲しいと願っているだけである。もし、丸亀製麺が「讃岐うどん」を名乗らず、多くの全国の人たちが讃岐うどんだと勘違いするような「丸亀製麺」という名前ではなく、違う名前の「うどん」のチェーンなら、そこが「全ての店で粉から作る」と謳っても、「1人の麺匠の下に200人の麺職人を要する麺作り体制」を「付加価値だ」と言って声高にPRしても、我々は「なるほど、そうですか」と言って平然と眺めているはずだから(笑)。

 蛇足ながら申し上げると、今、なぜ多くの「誠実な讃岐人や讃岐うどんファン」たちから丸亀製麺に対するネガティブな感情が出てくるのかというと、

(1)丸亀製麺は香川県の会社でもなく香川県でうどん店や製麺業をやっていた実績もないのに「讃岐うどん」を名乗り(『讃岐釜揚げうどん』の看板を掲げて)、単店舗の「讃岐うどん店」ではなく、「讃岐うどんチェーン」として全国展開を始めたこと。

(2)その経緯において、香川に「丸亀製麺所」という会社があるのに「丸亀製麺」という名前を付けたり(店舗展開を始めた後からアリバイ作りのように香川県に出店し、香川に「丸亀製麺所」という店があるので香川の店だけ「亀坂製麺」という名前にし、後にほとぼりが冷めたら「丸亀製麺」に名称変更した)、丸亀の「夢う」の大将が教えた職人がロサンゼルスに「丸亀もんぞう」という名前で店を出したら「丸亀製麺と紛らわしいから名前を変えろ」という内容証明付きの文書を送りつけたり、丸亀市の公用車に「丸亀製麺」の広告を出して走らせたり(丸亀市もようそんなものを受けるわ・笑)等々、讃岐うどんを我が物のように扱い始めたこと。

(3)自らが讃岐うどんの大家か代表であるかのように、全国ネットのテレビや雑誌等で「讃岐うどんの歴史や文化や技術」を語り始め(学研と組んで「讃岐うどんのひみつ」という本の監修をしたり、冒頭のようなテレビ番組で讃岐うどんの歴史や技術を全国に向けて語ったり)、しかしその内容の多くは表面的に集めた讃岐うどん情報を頭の中で組み立てて並べただけの怪しいレトリック(表現)や間違いが多いこと。

(4)ところが、無知な全国のマスコミやジャーナリストたちが丸亀製麺を讃岐うどんの代表の一つであるかのように扱い始めたこと。例えば、「丸亀製麺」と「はなまる」をうどんチェーンビジネスとして比べるならまだしも、「讃岐うどんチェーン対決」みたいな扱いをする番組や雑誌から新聞までいくつもあったし、今年に入ってはNHKの『クールジャパン』でも、「うどん」の回で丸亀製麺を「讃岐式うどん店(何じゃそりゃ)」の代表として紹介していた。

…等々、私に言わせれば「気分が悪い」という情緒的なものが大半である。今風に言えば、「讃岐うどんに対するリスペクトが全く感じられない」ということであるが(「リスペクト」はもう古いのか?・笑)、そこへこのたび、「全ての店で粉から作る」というキャンペーン(?)で、「はなまる」を含む讃岐うどんに敬意のある大衆セルフチェーンなら絶対やらないようなことをまるでそれが付加価値であるかのように展開し始めたものだから、「讃岐うどんの麺作りをナメてるのか」となって、香川県民の「気分が悪い」が加速したのである。ま、私らだけかもしれんが(笑)。

***

 でも、もう無理でしょうねえ(笑)。ビジネスに「リスペクト」などというルールはないから、丸亀製麺はこれからまだまだお金を掛けて圧倒的な量の情報発信を続けるだろうし、メディアのほとんどは讃岐うどんの本質なんか知らないからそれをそのまま流し続けるだろうし、それを受ける圧倒的多くの讃岐うどんの本質なんか知らない香川県以外の国民も、そのままそれを「正解」として頭に刷り込まれていくだろうから。

 さらに言えば、丸亀製麺に限らずいろんなメディアで次々に流される「間違った讃岐うどん情報」や「ちょっとおかしな讃岐うどん情報」に対して「それは違う」と声を挙げる香川県内の関係者や識者もほとんどいない上に(人がいいのか無知なのか)、香川県内にも自分たちを正当化するために歴史を歪曲する勢力があったり、能天気に丸亀製麺の広告を公用車に貼るような市もいるから(笑)、たぶんもうこの流れを止めるのは無理だと思います。そして、おそらくそのうち、全国的に丸亀製麺は「讃岐うどんの代表」の一つに確定し、丸亀製麺の語る讃岐うどんが讃岐うどんの歴史や技術の一つの「正解」になっていくのでしょう(さすがに過去の讃岐うどん文化は丸亀製麺には語れないだろうけど)。

 何だか、「日本が黙ってたらどこかの国が自分たちの都合のいいように日本の歴史を歪曲し、それを正当化するために世界中にロビー活動をして無知なマスコミを巻き込み、それに日本が黙っていたら歪曲された日本の歴史が世界的に正しいものとされ始め、しかも国内にそのどこかの国に味方するような勢力もいる」という話に似てきましたが(笑)。ま、そんな大層な話ではないにしろ、とりあえず我々麺通団は、

(1)全国の人が讃岐うどんを誤解するのは、もうことさら止めない(笑)。
(2)香川県内に残る「讃岐うどんに理解と敬意を持ったうどん店と客」を称え、一緒に遊び、その技術と文化を守っていくことに専念する。
(3)でも機会があれば微力ながら、全国のほとんどの人が聞いていないラジオ番組やほとんどの人が見ていない上に更新回数も激減したブログ(笑)等で「間違った讃岐うどん情報」を正し、「正しい(と我々が思っている)讃岐うどん」を伝えていく…というよりあまり伝わらないだろうから「残していく」。

ということを宣言しておく。ただし、麺通団のモットーの一つに「麺通団はいつでも前言を撤回する用意はある」というのがあるので、どちら様もよろしく(笑)。ふー、長いのはいかんわ。「短いのをたびたび更新する」というスタイルに戻すかな。
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