2020年01月の日記 |
2020年1月16日(木)
「日本の慣用句を時々使って古き良き日本語を守ろう会(会員1名)」の会員である私としては、ここは「三日坊主」を実践する絶好の機会だったのだが、「知らない人にはお知らせしとこうか」と思う出来事があったので4日目の日記を書いて、明日、「四日坊主」を試みる余地を残しておくことにする。
毎年、1月中になじみの名店を回って新年の挨拶代わりの一杯を食べるようにしている私は、昨日15日の水曜日、朝の9時過ぎに飯山の「なかむら」に行ったのである。そしたら、店の前に「定休日」と書かれた立て看板が出ていた。「あれ? なかむらは火曜日が定休日だったのに、今年から水曜日に変わったのか?」と思ってその日はそのまま朝食抜きで大学に行ったのだが、「もし定休日が変わったのなら確認しとかないかん」ということで、今朝も朝9時過ぎになかむらに行ったのである。そしたら今日は「臨時休業」の立て看板が出ていて、2日連続、店が閉まっていた。それを見た瞬間、私の頭の中に確信に近い「もしや?」が浮かんだのである。そして、残念ながらそれは的中していました。
あの「裏の畑でネギを採る」のエピソードで今日の讃岐うどんブームの立役者となった「怪しい製麺所」の名店、“生ける伝説”「なかむら」の先代大将が、亡くなりました。御年、77歳。
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実は去年の秋になかむらに行った時、いつも(といっても月に1回行くか行かないかだけど)食べている人気オプションの「鯛ちくわ天」の衣の感じがちょっといつもと違っていたので、「天ぷら担当の大将の調子が悪いのか? あるいは天ぷらの担当が代わったのか? いずれにしても大将に何かあったのではないか?」と思って、いつもと変わらず釜場を仕切っている奥さんに恐る恐る「大将、元気で天ぷら揚げてます?」と尋ねたのである。すると、奥さんからいつもと変わらぬ口調で「あ、今、入院してるんよ」という返事が返ってきた。私はそこで深入りするタイプの性格でないので、「ほんまですか! いや、天ぷらのコロモの感じがいつもとちょっと違うんで、どしたんかなと思ったんですよ」とか言いながら、四方山話をちょっとだけしてうどんを食べて帰った…という一件があったところへ、ここへ来て2日連続臨時休業に出くわしたので、すぐに「もしや?」と思ったのである。
ちなみに、手元のデータで確認すると、ここ数年の私がなかむらに行った回数がこうなっていた。
2013年… 7回 2016年… 5回 2017年… 4回 2018年… 7回 2019年…14回
去年、何か「呼ばれてた」んかなあ。
今、私の手元に、3年前に『讃岐うどん未来遺産プロジェクト』の「開業ヒストリー」の取材でなかむらの先代大将に聞き取りをした2時間半の音源がある(大将はゆっくりしゃべるので内容は他の人の聞き取りの1時間分くらいだけど・笑)。でも、聞いたら涙が出そうなので、今は聞かん。もしよろしければ皆さん、大将を偲んで「開業ヒストリー」の「なかむら」の聞き取り再現原稿を読んでやってください。
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蛇足ながら申し上げるが、「読んでやってください」と書くと、何でもかんでも「やる」を「あげる」と言うべきだ、みたいなバッシングをする勢力があるらしいが、なかむらの開業ヒストリーを書いたのは私であって、私に対して「読んでやってください」と謙って言っているのだから、読解せずにお門違いの批判をされても聞く耳は持たんのでよろしく。
…と書いていたら思い出した。去年、NHKのドキュメンタリーで北海道の屯田兵と開拓の歴史を紹介する番組を見たのだが、そこで、開拓時代に北海道に入植して大変な苦労をされた年配の女性がインタビューに答えて、
「(毎日がとにかく辛くて)一回、畑で馬と泣いたことがあります。仕事終わって、(帰っても)誰もいない、くたくたで帰って馬小屋に行ったら馬を洗ってやって、足をもんでやって…」
と言っているところへ、画面のテロップが
「馬を洗ってあげて 足をもんであげて」
と出たのを見てびっくりしたことがある。NHKまでそんなことになってるのか…。
もう時代背景もニュアンスもへったくれもない、「やる」は上から目線なのですべて「あげる」にしないとバッシングされる時代にまっしぐらなんでしょうね。ちなみに、なかむらの大将は鶏のエサも畑のネギ(だったか野菜だったか)の水も「やる」言うてたけど、もしあの大将の音源がどこかの媒体で流れることがあったら、全部「あげる」と書かれるんでしょうか…もう、「昭和の人間の価値観は去るのみ」のようです(嘆)。
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2020年1月15日(水)
上原にウケようと思って無理やりミルクボーイネタを織り込んで「2人でも来ようもんなら、俺は動くよ」と書いただけなのに、O船から直ちに「ススム、毛利、ミッチョ。この中から2人選んで」というメールが来て、「2人でも来てしもた」から動かないかんようになってきよるやんか! というか、そんな強力メンバーを揃えられたら1人も落とせんやないか。
O船もススム(以前日記にも書いた、仁尾の曽保で私比断トツのうまいミカンを作るファーマー)も毛利もミッチョも観音寺一高時代の私の同級生で、彼らは4人とも高校時代のまま西讃に住んで未だにツルんでいるらしいが、私は高松に就職して高松に住んでいるので彼らとはたまにしか顔を合わさない。しかし、あの4人が集まると、高松の昭和のおっさんとはレベルが違う、鳥坂の向こうの土着の昭和のおっさんの、しかも腹筋攣るぐらいの特級品のスナックトークが炸裂するのである(あと、そこにポン吉が加われば鉄板)。そんなメンバーで「冥土喫茶巡り」なんかしたら間違いなく本一冊書けると思うが、誰がそんな本を出版してくれる(笑)。
まあ、やるとしてもネットかSNSみたいなんの中になるだろうが、今、そこいら中に氾濫しているグルメサイトやSNSのグルメリポートみたいな、写真がメインでキャプションに毛の生えたようなコメントか短い文章が付いているようなスタイルの情報発信では、絶対にあいつらのおもしろさは伝えられん。「百語の文章より1枚の写真の方が多くの情報を伝えられる」みたいなことをよく言われるが、昭和のおっさんのスナックトークの真髄は、写真では絶対に伝えられんのである。
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しかし残念ながらというか時代の流れというか、「長い文章」は流行らんからなあ。小説やエッセイの類はともかく、商業文章(場所や施設や店や物や事や人の紹介文章)が合理化の流れの中で「写真のキャプションの延長」みたいな魂の抜けた紹介文ばっかりになってきたことが「文章衰退」の大きな原因かと思っていたけど、どうも「書く側」だけの問題ではなさそうで、ネット民やSNS民(とは言わんのか)のやり取りを見ていると「読む側」も元ネタの真意を読解せずに(というより読解できずに)やたら撃ち合いしてる感があって、まあそういう時代だからますます「文章中心の情報発信」が流行らんようになってるのではないかと。
そういうわけで、昭和の商業文章書きの私はそういう世界に「ついていけない」のと「ついて行きたくない」のとで、こんなクローズドの日記で「同じような価値観を持ってる仲間」だけに向けて駄文を垂れ流しているのである。でも、それもだんだん面倒になってきたので「中1カ月」みたいなローテーションにしたら、日常に余裕ができ、仕事も一層はかどり始めたというのに、「泰平の 眠りを覚ますT山と 上原とO船と私の余計なネタ振り」…字余り(笑)。
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2020年1月14日(火)
昨日の八十八庵道中、上原と「ここから団長日記を3日連続更新して読者を驚かすのはどうです?」みたいな話になったのを思い出したので、とりあえず今朝、昭和のギャグにすぐに反応する昭和のおっさん代表のO船から「『冥土喫茶』乗る!」というメールが来たことだけ報告して更新に代えさせていただいて、今日も遅くまで仕事をしたのでもう寝る。ちなみに、今のところ昭和のおっさんからの反応はO船1人だが、あと2人でも来ようもんなら、俺は動くよ(笑)。
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2020年1月13日(月)
T山から「恥ずかしいから去年の最後の日記、早よ沈めてくださいよ」という年賀メールが来たのを見て見ぬふりしたまま10日ぐらい経つが(笑)、今年の正月は1軒目に行ったうどん屋で大ハズレに当たって私の「うどんライフ」がいきなり深度100mぐらい沈んでしまったので、自分が沈んどるのに日記を沈めとる場合ではなかったのである。そこで後日「がもう」に行って深度60mぐらいまで戻し、去年からお気に入りの丸亀の「おふくろ」に行って深度40mぐらいに戻し、それから一昨日「清水屋」に行ってようやく深度15mまで浮上して、「今日は何としても水面に出るぞ」ということで、夫婦で「八十八庵」に行くことにしたのである。
高松からさぬき市の山奥の八十八庵に行くなら、旅のお供は途中にある三木町の上原だ(笑)。ということで、人の迷惑顧みず、昼の12時半に上原に電話。
田尾「明けましておめでとうございます」 上原「あ、おめでとうございます」 田尾「何ができよん?」 上原「家で仕事してますけど…」
危険な匂いを察知した上原が恐る恐る「仕事」を口にしたが、そこに微妙な曖昧さを察知した私は軽く追い込んでみる(笑)。
田尾「緊急の仕事?」 上原「いや、そうではないんですけど…」 田尾「今から夫婦で八十八庵に行こうとしとんやけど」 上原「あ、今日2時に車の洗車の予約をしとって、ガソリンスタンドに車を持って行かないかんのです。そやから八十八庵まで行きよったら2時までに帰って来られんような気が…」
そうきたか。ごんの「今、マンションの水道管が破裂して直しよんです」よりは信憑性があるが(笑)、谷本の「母親を郷ひろみのコンサートに連れて行かないといけないんです」ほどの完璧さに比べるとまだ隙はあるので、さらに追い込んでみる。
田尾「洗車で車預けるって、手洗いか?」 上原「まあ一応」 田尾「どれぐらいかかるん?」 上原「たぶん1時間か、1時間半ぐらい」 田尾「その間、何しよん?」 上原「ガソリンスタンドで仕事しながら待っちょろかと…」
よし、隙を発見!(笑)
田尾「わかった。スタンドに先に車を持って行って待っとけ。俺ら、そのスタンドに迎えに行くから。で、そこで上原を拾って3人で八十八庵に行ってうどん食って、またスタンドまで送ってやるわ。ほんだら洗車の待ち時間がめちゃめちゃ有効に使えるやろ」 上原「わかりました。よろしくお願いします」
どうだ(笑)。いや、そんな強制じゃないですよ。ちょっと導入部分を脚色してお伝えしましたが、3人とも楽しく八十八庵に行ってきましたよ(笑)。で、打ち込みとおでんを食べて、大将と奥さんにコーヒーまで出してもらって、お土産にいなり寿司とコンニャクまでもらって、あまりに恐縮なので上乗せでこんにゃくとお菓子を買って帰りましたよ。
それにしても今日の八十八庵、午後2時を回っていたのにあの広い駐車場が満杯になるほどの混雑で、私は八十八庵で初めて、店内で行列に並びました。厨房を見るとてんてこ舞いでしたが、当然のことながら一切の手抜きなしで大満足の打ち込みが出てきました。おでんも仕込みが完璧で、てんてこ舞いなのに味の染みてないタネは一切なし。文句なく「水面に浮上」することができました。いやー、相変わらず八十八庵は素晴らしい。
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で、八十八庵からの帰りにいつものように道の駅にお立ち寄りして、みかんとピーナツせんべいと、家内がサトイモの親芋を買いました。
家内「親芋があったから買うてきた」 上原「親芋って何ですか?」 家内「サトイモは親芋があってその周りに子芋が付いてるん。スーパーとかで売ってるサトイモはたいていちっちゃい丸い子芋を売ってるけど、親芋の方がもっちりしておいしいんよ」 上原「そうなんですか」 田尾「親芋と子芋の話になったら俺、いつも盛の大将を思い出すんや」 上原「何ですか」 田尾「俺も昔、サトイモに親芋と子芋があるんを知らんかったんやけど、盛の大将が『親芋がうまい』いうて教えてくれたんや」 上原「さすが、料理人ですからね」 田尾「ほんで、『かえって子芋の方が手間がかかるし。松村和子も歌いよったやろ? ♪かえって子〜イモ〜』って歌われて…」 上原「あっはっは!」 田尾「俺、不意打ち食らってちょっと笑てしもた。盛の大将のギャグで笑たんは、俺の人生の汚点や(笑)」 上原「あかん、ダメです! もう里芋見たら絶対その歌が頭の中を回ってしまう(笑)」
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ちなみに、道中の道端にあった昭和の田舎の喫茶を見ていて、新企画が持ち上がりました。
田尾「たぶん、田舎のあちこちにあんな古い喫茶がまだ生き残ってるよな」 上原「ありますあります」 田尾「あちこちの田舎の昭和の喫茶巡りをしたらおもろいんちゃうか? ばあちゃんが一人でやってるような、客は近所のおっさんしかおらんような喫茶って、店の中に絶対おもろいもんがあるぞ。うわ、こんなポスター貼ってある! とか、こんな雑誌置いてるぞ! とか、妙な置物とか妙な店内の作りとか器とかテーブルとかイスとか…」 上原「絶対ありますね」 田尾「さらに店主のばあちゃんのキャラも絶対何か立ってる。昔話やって、聞いたら絶対おもろいと思うわ」 上原「けどそれ、早よ探検に行かなんだら、ばあちゃんいつまでも生きてませんよ」 田尾「わかった、田舎のばあちゃん喫茶を『冥土喫茶』と命名して売り出そう(笑)」 上原「『冥土喫茶』! ええですね! そこで『ごちそうさまでした』言うたら、ばあちゃんが『逝ってらっしゃい』って送ってくれる(笑)」 田尾「ええなええな(笑)。これ、『ゲリ通』の喫茶版になるぞ」
というわけで「ゲリラ“冥土喫茶”通ごっこ」、誰か、乗りません?(笑)
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