2020年09月の日記 |
2020年9月15日(火)
昨日、訳あって半年ぶりにゴルフの練習に行くハメになったのであるが、30球ぐらい打ったあたりから肩に違和感が出始め、それでも100球ぐらい打って帰ったら、肩を上げたり回したりするたびに痛くてどうにもならなくなった。その特徴は完全に「フィフティー・ショルダー」やがな。いや、年齢的には「シックスティー・ショルダー」だが、「四十肩」と「五十肩」はあっても「六十肩」という言い方をあんまり聞かんので…どっちでもええか。
というか、10年ぐらい前にフィフティー・ショルダーになった時とは痛みの感じがちょっと違う気もしたので、今日、「迎え酒」でなくて「迎え打ち」でもう一回打ちっぱなしに行って軽く50球だけ打ってみたのである。そしたら余計に痛くなってしまって(当たり前じゃ)、「これはいかん」と思って練習場からすぐに行きつけの按摩屋さんに電話をしたら「今日はもうずっと(お客さんが)入ってしまってるんです」と言われて、途方に暮れて家に帰ったら「今度のゴルフ、1人が急用で行けなくなったんで○日に変更したいんですが、どうでしょう」というメールが入っていて、その日は『インタレスト』の編集作業日だったので今度は私が行けないということで、結局来週のゴルフは中止になったので「シックスティー・ショルダー」の心配がなくなったという、“持ってる”のか“持ってない”のかようわからんテンション上がり下がりの2日間であった。
などと書いていたら、上原から「日記の更新の頻度が格段に上がったので非常に喜ばしく思っております。めっちゃ元気に鳴いたかと思ったらそのまま天寿を全うするセミみたいになりませんよう」というあたたかいメッセージが来たが、思い起こせば22歳から45歳ぐらいまで、「1日8時間労働の週休2日制で有給休暇もちゃんとある公務員」のたぶん2.5倍ぐらい働いてきたので、いつ天寿を全うするかわからんことだけは確かだ。向こうで勝谷さんが「ヒマやから早よ来て」とか言いよるような気もするし(笑)。ま、とりあえずそれなりに頑張りながら、何かあったらそれはその時の話じゃ。「…とか言いよるやつに限っていつまでも生きとるんじゃ」とみんなが言うんよねー。
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2020年9月13日(日)
数日前、ある高校から大学を通じて私の「発想力開発論」の出張講義を受けたい、というオファーがあった。聞くと、その高校のあるクラスが先生の指導の下、あるテーマでウェブサイトを作って情報発信することになったのだが、そのコンテンツのいいアイデアがなかなか出なくて困っていたところ、担当の先生が『インタレスト』を見てその発想力と切り口のおもしろさに衝撃を受け、「ぜひご指導いただきたい」とのことであった。
私が大学で今担当している9つの講義はすべて、私がプロのビジネスの現場でやっていたことを元に組み立てたものであり、私は「簡単なことを難しそうにこねくり回す大先生」ではなく「難しいことをなるべく簡単に説明する」というタイプの人間であるから授業の内容は非常にわかりやすいと自分でも思っているが、ビジネスの現場に入ったことのない大学生には「実感というものが伴わない」というもどかしさもある。それが、相手が高校生となるとさらに「実感」からかけ離れてくるので、果たして私の手法がお役に立てるのかどうか不安もある。けど、『インタレスト』の凄さを少なからず感じていただいているようなので、これは無下に断るわけにも行かず、双方の日程の調整をして、数週間後にお伺いすることになった。
で、その事前のご挨拶ということで、先方の担当の先生と電話で少しお話をしたのである。先生によると、地元の情報発信系の業者の方から「アイデアをたくさん出したいなら、ブレーンストーミングをやればよい」と指導されたそうである。ところが、実際やってみたけど、なかなかうまくアイデアが出てこない。そこで、『インタレスト』は毎号、一体どうやって発想し、特集企画に仕上げているのか、ぜひご指導いただきたいというわけであった。これまで、高校からの出張授業の依頼はその多くが「何かやらやいといけないから、誰かを呼んでやってもらおう」という、高校の義務的スケジュールの穴埋めみたいなものだったのだが、わかりました、そういうことならお任せください(笑)。
で、電話で私の講義のフレームワークをちょっとだけお話しした。
まず、「情報発信の斬新なコンテンツを決める」という目的なら、「ブレーンストーミング」から入らない方がいいと思います。理由は、頭の中にアイデアが少ない者が集まってブレストをやってもロクなアイデアが出ないからです。例えば10人でブレストをやると10人の頭の中にあるものがとりあえずそこに並ぶわけですが、1人が1つずつしかアイデアを出せないと、全部で10しかアイデアが出ない。2つずつ出しても20、5つずつ出しても50しか出ない。
ところが、私のやってきた「アイデアを生み出す手法」というのは、ブレストをやる以前の話、すなわち「ある決められたテーマについて、1人の頭の中に浮かぶアイデアを10個や20個のレベルから数百個、数千個レベルに引き上げる」というプログラムなので(といっても手法はあっけないほど簡単です)、そこの引き出しが桁違いに増えた者を集めてブレストをやると、そこから生まれる「いいアイデア、斬新なアイデア」の数も確率的に必ず増えます。というか、ブレストなんかやらなくても、数百個のアイデアをどんどん出していくうちに「企画案」まで決まってきますよ。
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ちょっと豪語しちゃったかなあ(笑)。「グッダイ」みたいな(「そらオーストラリア語や!」とツッコミよろしく)。とりあえず、短時間の出張授業でうまいこといくかどうかわからんけど、これからちょっと準備してみます。
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2020年9月11日(金)
こないだの朝、がもうに行って、マスクして店に入って、マスク外してうどん食って、食べ終わったのでマスクをして器を流しに返して、コップを取って水を入れて、ポケットから不本意な薬を3粒出して手の平に載せてポンと口に入れようとしたらマスクと手の平の間に薬が止まったのだが、「マスクをしているのを忘れて薬を口に放り込む」という行為を嘆くより、その瞬間を後ろにいた客に見られたのに咄嗟に気の利いたリアクションが取れなかったことの方を1時間ぐらい悔やんでいたとは、何か人生を間違って積み重ねてきたのかもしれない(笑)。
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というわけで先月のある日、大学の総務から研究室にこんな内線がかかってきた。
総務「OHKの『ハナコのBuzzリサーチ』という番組から『インタレスト』に取材依頼が来てるんですけど」 田尾「五百羅漢のやつ?」 総務「そうです。あれで、編集を担当した学生にインタビューをしたいと言ってるんですけど、田尾先生、誰か推薦してください」
『インタレスト』をお持ちの方はご承知の通り、6月1日に発行した第29号で「五百羅漢そっくりショー」なる企画をやった。「五百羅漢」というのは、お釈迦様が入滅した後の大事な会合に集まった500人の弟子のことだそうで、その五百羅漢の像がズラリと並んだお寺が、香川には雲辺寺と総本山善通寺と観音寺の羅漢寺の3つある。そして、五百羅漢像は一つ一つ全部顔もポーズも違っている上、「500の顔の中に必ず自分に似ている顔、誰かに似ている顔がある」という言い伝えを聞いたので、『インタレスト』的には「これは行かねばならない」ということで、行ってきたのである。その結果、有名人に似た顔の羅漢像が“爆笑モノ”を数体含めて40体以上も見つかったので、それを巻末3ページにまとめて載せたのであるが、その中に「ハナコの岡部に似た羅漢像」が1体入っていたので、「OHKの『ハナコのBuzzリサーチ』という番組から…」と聞いた瞬間、「あれやな」と思ったわけである。
しかし、この依頼に対して、私には懸念材料が2つあった。
1つ目は、「誰を推薦するか?」という基本的なところである。あの企画の特集担当学生のリーダー格は4年の氏原と3年の小林(いずれも女子)であるが、氏原は理由はわからんが「顔出しNG(笑)」とか言うてたので、たぶんアウト。すると残るは小林だが、小林はトボけた才能を持ったただ者ではない逸材だが、まだ3年だから、仮に取材を受けるとしても『インタレスト』全体のことを聞かれたらきちんと答えられるかどうかが未知数。さらに、「ハナコの岡部に似た羅漢像」は総本山善通寺にあったのだが、小林は雲辺寺の取材担当だったので、“ハナコ像”像発見の時のことなんか聞かれたらしどろもどろになったらいかんし。しかし何より、小林は無口なのだ(笑)。
続いて2つ目の懸念は、「ハナコの岡部に似た羅漢像」として掲載した像が、そもそも岡部にそれほど似てないことである。特に、その周辺の「ガンバレルーヤ・よしこにそっくりの像」や「ネプチューン・名倉にそっくりの像」「笑い飯・西田にそっくりの像」「ロバート・秋山にそっくりの像」等があまりに爆笑ものの激似なので、余計にハナコ・岡部像の「あんまり似てない」感が際立ってしまっている。それを果たして、OHKの番組制作者はどう紹介するのか?
ローカル制作のバラエティー系情報番組は押し並べて、紹介する素材(店や物や人など)のクオリティが大したことなくても、レポーターはとりあえず素材を大げさに褒めて持ち上げてぬる〜くまとめてしまう傾向があるから、あの程度の微妙な似加減を「ほんとだー! 似てますねー!」とか振られたら、視聴者がテレビを見ながら「それ、似てるかあ?」とか突っ込んでくるのが見えてるところに、企画担当者としてどんなコメントをすればいいのか? そこを“いい感じ”にクリアするには高等テクニックが必要になるが、果たしてうちのインタレストスタッフにクリアできるのか?
というわけで、私は苦渋の選択をし、とりあえず今のインタレストスタッフの中で一番そつなく賢そうに答えられそうな前号編集長の藤川に、「小林と一緒に取材を受けてサポートしろ」と指示をしたのである。ところが何と、OHKの取材日が決まったら、その日は私と藤川たち数人が高松市街地の取材に行く日と被ってしまった。そこでやむを得ず、3年の小林が一人で取材を受けることになったのである。
そして、取材は私の知らないところで終わった。
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それから1週間が経ったある日、『インタレスト』の合同作業日にいつものように編集室に10人くらいの学生が集まり、手指の消毒をして、密を避けて、換気を十分に行いながらなるべく小声で作業をしていたら(もういちいち書かんでええか・笑)、遅れて小林がやってきたので、私は声を掛けた。
田尾「こないだ取材、うまいこといったか?」 小林「え? ああ…まあ…」 田尾「どんな取材やったんや」 小林「いや…まあ…普通に…」 田尾「放送いつや」 小林「いや、いつか知らんのですけど…」
何か、取材がどうだったのかも、放送日がいつなのかも、何回聞いても小林が頑なに具体的なことを報告せんぞ。何があったんだ。
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その日から私は毎週、『ハナコのBuzzリサーチ』の放送内容をチェックしていた。そしてついにこの水曜、の深夜、番組ホームページで「岡部に似てる石像」という一行を見つけたのである。その日の深夜0時25分、私は予約録画をしていたにも拘わらず、リアルタイムでテレビを見始めた。
「岡部に似てる石像」のコーナーは、「視聴者の投稿をもとに、番組スタッフが総本山善通寺の五百羅漢像をくまなくチェックする」という流れで始まった。それから、スタッフがそれらしき像を見つけたのだが、そこから話はいきなり「これ、あまり似てないんじゃない?」という方向に展開した。おおっ、ローカル制作番組なのに踏み込んでくるじゃないか! と思っていたら、さらにそこから「スタッフが投稿人に『似てないじゃないですか』というクレームを入れる」というまさかの展開に!
スタッフ「岡部に全然似てないんですけど」 投稿者 「微妙ですね」 スタッフ「微妙な状態で投稿をくれたってことですか」 投稿者 「微妙だなと思ったけど、雑誌にハナコに似てると書いてあったんで」 スタッフ「え? 雑誌に?」 投稿者 「フリーペーパーなんですけど」
そこでナレーションが入る。
(ナレーション)そこで問題のフリーペーパーを入手し、確認。「五百羅漢そっくりショー」と題し、有名人に似ている石像を紹介している。そんな中、全然似ていない岡部像が「ハナコ・岡部」として掲載。これは、とんでもなく由々しき事態。発行元を調べると、四国学院大学と書かれている。そこで、クレームを入れるため、四国学院大学のフリーペーパーを担当している学生の元へ向かった」
うわ! そんな流れで『インタレスト』に来るんか! これ、小林で戦えるのか?! 急転直下、めちゃめちゃ心配になってハラハラしていたら、容赦なくカメラはインタレスト編集室に入って行く。そして、パソコンの前にマスクを付けてポツンと座っている小林に スタッフが近づいて質問を始めた。(以下、カッコ内は私の心の叫び、というか、テレビに向かってちょっと声が出たかもしれん)
スタ「このフリーペーパー書かれた方ですか?」 小林「はい」 (小林が書いたんじゃないけど、流れからそう答えなしゃーないわな。とりあえず舞い上がらんと普段のままでしゃべっとる。入りはええぞ)
スタ「ハナコの岡部載ってるじゃないですか。これ、似てます?」 小林「なんか全然似てないですね」 (よし! 取り繕いのないええコメントじゃ!)
スタ「あんまり似てない?」 小林「似てないですね」 (ええぞええぞ!・笑)
そこでナレーションが一発。
「なんと、似てないとゲロった」
スタ「どういう流れで岡部載せるようになったんですか?」 小林「なんか似てるような気がしたんですね。でも似てなかったですね。ちょっとスペースが余ってたんで入れてみました」 (再びナイスコメント!)
ここで「岡部はスペースが余ったので穴埋め要員」というナレーションが入る。
スタ「いいんですかね、似てないのに載せちゃって」 小林「まあ、いいんじゃないですかね」 スタ「いいんですか」 小林「見る人が見たら似てるかも知れないですし」
ここで「その気持ちこそが、まさに仏の心です」というナレーションと「それこそ仏の心」というテロップが入り、スタジオから岡部が「どんなまとめかただよ」と突っ込んで小林のシーンは終わった。
ま、冷静に見ればコメントも含めてどこまでが番組側の筋書きなのかわからんが、とりあえず、よくやった小林。120点で特待生昇格だ(笑)。
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2020年9月8日(火)
高松三越は今、コロナ対策で館内への入り口を減らしているためか、建物の壁面に出口と入口の場所を示すパネルのようなものを貼っているのだが、そこに大きく、
「お出口」「お入口」
と書かれている。百歩譲って「お出口」は電車の車内アナウンスで聞いたことがあるからあんまり違和感はないけど、「お入口」は長い人生で初めて見た気がするがどうか。…と、「どうか」の微妙に違うバージョンで入ってみたが、何でもかんでも謙(へりくだ)って過剰で変な謙譲語や丁寧語を使う風潮の中、天下の三越様にはなるべく頑張ってほしいと思った次第である。以上、ガモムスが「1行でもええから更新してください」と言うので今日はこれぐらいにしといてやる…じゃなくて「これぐらいにしといてあげます」…じゃなくて「これぐらいにさせていただきます」…じゃなくて「これぐらいにさせていただいてあげます」(小学生の「いちおくまんえん」か)。
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2020年9月7日(月)
お便りを頂いております(『うどラヂ』風に・笑)。昨日の「ツルツルシコシコ」の話題を受けて、ラジオネーム・washi-jyaさんことO船さん(ええ年したおっさん)から、
●「シコシコ」は使わんし、聞いた記憶もない。ひょっとして…(以下、ススムの名誉のため割愛)
そうかー、雑誌やテレビやネットのうどん店紹介の文章を見てたら相当あちこちに出てくるんやけど、こんなんに気がつくのは“商業文章屋”の職業病かもしれんなあ。ちなみに全国には「つるしこ」という麺類の店もあるので、ススムくんと一緒にぜひ行ってみてね(笑)。
次も同じく昨日の「ツルツルシコシコ」の話題を受けて、ラジオネーム・あげはらさんこと上原さん(シモネタに敏感)から、
●超久しぶりの更新でワクワク読み進めていくと、最後の最後にあごが外れるような不健全なオチ、ありがとうございました。ちなみに「シコシコ」という表現は…(以下、上原の名誉のため割愛)
というか、きみらがいらん展開するから、再開した日記が冒頭から不本意な流れになっりょるやないか! …と、頭の中のちっちゃいO船と上原の「最初はあんたや!」というツッコミを聞きながら駄文で2日目のオープニングを飾ってみたがどうか。
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それにしても、ふー、暑いのうニッポンは。こんなに暑くちゃ、表に取材に行くのが老体には人一倍こたえる。8月中旬から9月初旬にかけて、特集担当学生1〜3人を連れて、 「高松市街地・半日徒歩取材」 「中西讃の山間部・丸1日ドライブ取材」 「高松と東讃の山間部・丸1日ドライブ取材」 「小豆島の山間部・丸1日ドライブ取材」 と、4日も炎天下に突撃したのであるが、マスクと手洗い消毒と換気と小声の会話に気をつけながら、帽子にタオルに水に塩分に日焼け止めと万全の体制で行ったにも拘わらず、1回目の取材の後に軽い頭痛がやってきて、2回目以降は少し慣れたのか頭痛は来なかったけど疲労と体調に薄い違和感が残る…そんな年頃なのに、半月前まで次号の第一特集に予定していた企画が「高松市街地・半日徒歩取材」の結果、「いけると思って取材を進めていたら、キレのある切り口がどうにも見つからない」という理由でボツになってしまって、もう疲労感倍増である。
今季は7月の編集会議で9本の企画が同時スタートしたのに、これで大ネタ2本と小ネタ2本がボツになって、中ネタ3本が大幅な内容変更になってしまった。しかしまあ、こんな紆余曲折はいつもの『インタレスト』の授業の「建設的な苦しみ」であるから、大して苦にはならないものである。企画のうちの1本は、学生が取材途中で「え? これを紹介したらそんなことが起こる可能性があるんですか!」という想定外の懸念材料を発見してボツを決定したのだが、その経緯を見ていて「危険察知能力がちょっと成長したか?」と小さな満足感を得たりするもんで(笑)。
それより気になるのは、今年4月から履修してきた2年のインタレストメンバーである。何しろ、6月に対面授業が始まり、夏休みも随時顔を合わせているのに、私は誰一人としてマスクの下の顔を見ていないのである。現状を見る限り、後期もおそらくマスクを外した授業は行われないだろうし、それがあと2年も続くと、「顔を合わしているのに顔を知らないまま卒業していく学生」が続出することになる。
どうなんですかねえ。目視で顔認識できるように透明なマスクとか、あるいは自分の顔の下半分をプリントしたマスク(自分と違う顔のプリント禁止・笑)とか。ま、そこまでして顔を認識しなくても、レベルの高い教育さえ提供していれば教員としての付加価値は出せると思うけど。
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2020年9月6日(日)
さてそういうわけで、世間は未だコロナの渦中、うちの学生は夏休み中、私は『インタレスト』30号の取材と編集と学生スタッフ指導と、後期の授業準備と各種大学の事務的作業と、『讃岐うどん未来遺産プロジェクト』の執筆と『うどラヂ』の情報収集と収録と、いろんな頼まれごとの処理と数少ない友人知人とのコミュニケーション活動の真っ最中であるため、優先順位の低い日記は「もうええかな…」とすら思って放置していたのであるが、さっき用事があってガモムスと44分も電話をしていたらガモムスから「日記、今も毎日更新してないか見よりますよ」と言われたので、あまりに気の毒になって「わかった。ほな何か書くわ、T山の悪口とか(笑)」と言ってしまったのである。言ってしまったのに、T山があまりにいい人なので悪口の一つも出てこないじゃないか(笑)……という感じで、近況報告のついでにご無沙汰の友人まで無理やり持ち上げてみるというオープニングで入ってみたがどうか。
で、ガモムスに電話をしたのは、『讃岐うどん未来遺産プロジェクト』の原稿を書いていた時にちょっと確認したいことが出てきたからである。
一部のマニアックな方はご存じのように、『讃岐うどん未来遺産プロジェクト』は「ご年配の頭の中に記憶として残っている戦前戦後以来の昭和の讃岐うどんのシーンを大量に発掘して未来に遺そう」という趣旨で地元の有志たちと取り組んでいる作業であるが、ここのところしばらく、「昭和20年以降の四国新聞の過去記事を図書館のマイクロフィルムで徹底的にチェックして“うどん”に関係する全ての記事や広告を拾い出して並べて再編集し、なるべくファクトベースで讃岐うどんの歴史を紡いでみる」という作業を続けている。それが今、「昭和47年」まで完了しているのであるが、ここまでですでにいくつも私の知らなかった新事実や新たな謎が次々に発見されているのである。
例えば今日、讃岐うどんの麺の食感を表現するのに語彙の少ないライターがよく使う「ツルツルシコシコ」であるが(笑)、私は常日頃から『うどラヂ』等で「シコシコって何や」と疑問を呈していた。
すると、昭和42年の四国新聞のコラムで「昔の手打ちうどんのようなコシコシした舌ざわりが消えた」という記述が発見されたのである。さらに昭和44年の一面コラム「一日一言」で讃岐うどんについて「しなやかでコシコシした歯ごたえ」という表現を発見。さらに昭和47年には、あの著名かつうどんに造詣の深い郷土作家・佐々木正夫先生が讃岐うどんを称賛して「コシコシした舌ざわり、ツルッツルッとノドにすすり込む痛快さ」と書かれていた。
つまり、少なくとも昭和47年まで、香川県民が讃岐うどんの麺の食感を表現する言葉は「コシコシ」であって、決して「シコシコ」ではなかったことが新聞から判明したのである。
では、一体いつ、誰が、讃岐うどんを「シコシコ」と言い始めたのか?
答えはまだ出ていないが、今後の新聞記事発掘作業のどこかで必ず、地元記者か作家かコラムニストか投稿者が「シコシコ」を使っている場面に出くわすはずである。待て、続報!
…とまあビックリマークを付けるほどの大層な話ではないが、そういう小ネタをはじめ、 ●「屋台のうどんのルーツ」を窺わせる新聞記事 ●「高松駅ホームの立ち食いうどん」の発祥をレポートした新聞記事 ●「県産小麦壊滅」の年のリアルな新聞レポート ●「大阪万博は第一次讃岐うどんブームのきっかけでも何でもなかったみたいだぞ」という愕然とする状況を示唆する新聞記事 …等々、すでに相当量の興味深いうどん関連記事を発掘して、年ごとに解説や関連データを加えながらまとめているので、お暇な方はぜひ『讃岐うどん未来遺産プロジェクト』のHPで読んでみてください。
で、その昭和48年の原稿を作成中に、一般人にはそれほどおもしろくはないかもしれないが“その道の人”には謎解きの興味が湧いてくるような「うどん作りの塩分濃度の謎」と「『土三寒六常五杯』に対する大きな疑問」が出てきたので、とりあえず私の携帯に番号が入っているわずか4人の「うどん屋の人」のうちの1人であるガモムスに電話をして、3分ぐらい確認作業をして41分ぐらいムダ話をしたというわけである。でも、「塩分濃度の謎」の話は書くと長くなりそうなので、股の機械、失礼、またの機会に(「文化人講座」でおなじみのこのフレーズは、上原へプレゼント・笑)。
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