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2024年06月の日記
2024年6月23日(日)…細いとメガネ

 『インタレスト』は年2回発行で19年目に突入して現在38号目が進行中…ということは、毎年10〜20人ぐらいの2年生が新しく履修して入ってくるから、これまでに企画編集に携わった履修学生は総計でおよそ300人ぐらい、その中から編集長も38人も出たことになる。まあ300人といっても、ろくに働かない学生もいたし、私も歳を取ってしまってタウン情報誌時代みたいな記憶力もなくなっているのでとても全員は覚えていないが、それでも名前を聞いて思い出すのが250人ぐらい、その中の編集長や副編、特集リーダーあたりに任命した50〜100人ぐらいは、それなりに当時のエピソード付きで覚えていたりする。

 でも、私は基本的に卒業生と卒業後に会うことはほとんどしないので(あいつらは卒業後にあいつらの人生を歩んでいくというか、作っていかないといけないので)、まあ気には止めておくけど「自分で頑張れよ」ぐらいのスタンスでいるのであるが、たまにどこかで卒業生と出くわすこともある…というわけで、今年の4月のある日、某カフェでS々木と仕事の打ち合わせをして帰ろうとしたら、出口で卒業生にばったり出くわした。

吉田「あ、田尾さん」
田尾「うわ、吉田か」

 もう今から12年も前、2012年〜2013年あたりの『インタレスト』で猛威を振るった(笑)女子編集カルテットの、十河(14号編集長、15号助監督)、大西(16号編集長)、武政(14、15、16号の3期連続副編集長)、吉田(15号副編集長で、16号は『インタレスト』を履修してなくて単位も出ないのに企画編集に参加)のうちの1人の吉田である。そこで、久しぶりに会ったので近況報告などを立ち話していたら、さっきのカルテットの1人の十河の話になった。

田尾「十河はどないしよんや。あいつ、いつテレビに出てくるかと思って待っちょんやけど、まだ芸人続けよんか。」
吉田「まだやってますよ」
田尾「ほんまかー。まあ無理せんと頑張れ言うといてくれ」

 実は、十河は『インタレスト』で大活躍をした後、卒業して何と、「NSC」に入っちゃったのである。NSC吉本総合芸能学院、NSCは「New Star Creation」の略。しかし、それからまだ、テレビには出てこない。というか、「十河がNSCに入った」という話を聞いて、私は「あいつ、そんなにおもしろいやつだったかなあ」という感想しかなかったのである。あの4人組の中でおもろいことを言うキャラはたぶん吉田だけだったような気がするし、思い起こしても、十河が何かやらかしたのは「発想力開発論」の授業の時ぐらいしかない。

 授業で「『昔から』という発想の道具を使って、冷凍食品や弁当や飲料の新しいアイデアの入口を探す」という練習をした時、他の学生たちが「風林火山弁当」「近藤勇の男飯」「利休の抹茶」「平家御膳」「江戸の雪消飯」といった正統派(?)から「小野妹子のいもごはん」「ナポレオンのナポリタン」「ザビエルのムニエル」「新鮮グミ」等々のダジャレ系言葉遊びまでいろいろ出してくる中、十河が「何をどうしたらいいかわからないんですけど」と言ってきた。そこで、「とりあえず過去の場所やモノや人や事を網羅的に集めて、それに食品をくっつけて妄想しろ。ダジャレでも何でもええ」とアドバイスしたら、十河が苦し紛れに出してきたのが、

「桜田門外のパン」

 あいつがおもろい系のネタで輝いたのは、私の中ではあの一発だけだ(笑)。そんな経緯もあって、しばらく名前もきかないしテレビにも出てこないので「十河はもうNSCをやめたのかもしれない」と思ったりしていたのである。けど、吉田情報によると、どうもまだ舞台とかちっちゃいライブとかでやってるらしい。

 というわけで、吉田から十河の近況などを聞いて、その日は解散したのであった。

*****

 そしたら翌日、その十河から突然、『インタレスト』時代の編集長と制作総指揮の連絡電話以来、10数年ぶりに電話がかかってきた。

田尾「田尾です」
十河「あの、もう10年以上前になるんですが『インタレスト』で編集長をやってました、十河と申しますが…」
田尾「着信に『十河インタレスト』いうて出たけん、最初からわかっとる」
十河「早よ言うてくださいよ」
田尾「ごめんごめん。何? 昨日吉田にバッタリ会うて十河の話も出たんやけど、それ関連か?」
十河「いや、それとは関係なくて、今度の連休に香川に帰って昔のインタレストメンバーと会って食事するんですけど、田尾先生も来ませんか? という電話なんですけど」
田尾「俺はええわ。キミら若いもんで旧交を温めたらええが」
十河「何でですか。来てくださいよ」
田尾「誰が集まるんや」
十河「私と、吉田さんと、武政と、大西ゆりこちゃん」
田尾「猛烈カルテットの女ばっかりやんか。そんなとこには絶対行かん」
十河「そんなこと言わずに来てくださいよ。あ、あと文ちゃんも来ますよ」
田尾「誰や。あの時の文ちゃんいうたら…文野か」
十河「そうですそうです。男も1人ちゃんといますから」
田尾「文野がキミら4人と戦えるか?」
十河「大丈夫ですって。絶対みんな喜びますから来てくださいよ。会場と時間はあとでメールしておきますから」

 という、何だか突然10数年前の『インタレスト』首脳陣2人から別々に2日連続でコンタクトがあって会食にまで行くハメになるという悪夢…じゃなくて奇跡が起こって、5月某日、我々の明日を暗示するかのような豪雨の中、居酒屋みたいな所に集合して、みんなの近況情報を交換しながら4時間もバカ話やバカでない話をして解散しました…と、ここまでが前振り。

 えー、つい数日前に放送された『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に、十河が出てました。テレビ初出演です。「細いとメガネ」というコンビを組んでるんですが、コンビではなく、4人組のネタの脇役で出てました。ちょっとしか見てないんですが、デキはイマイチでした(笑)。あいつのおもしろさは今風の“爆笑芸”や“トンデモ芸”じゃないところにある、と私は今でも思っているのだが、さて、これからどうなることやら。
2024年6月20日(木)…スパッと書けなくなるホワイトボードマーカー(笑)

 次号の『インタレスト』は今、50人の履修学生を抱えて12本の企画を同時進行中であるが、教室での全員集合会議の段階を終えて、先週あたりから「インタレスト編集室」で特集チームごとの編集ミーティングの局面に入った。

 「インタレスト編集室」にはパソコンがmac6台とwindows2台にプリンターが1台。ホワイトボードが4台にカレンダーボードと台割りボードが各1台。テーブルは大きな“島”が2つと、窓に面した長いカウンターテーブルが1つ。あと、壁2面に本棚と収納棚が張りついていて、そこに本や参考資料から、30数巻分のバックナンバー、各種用紙に大量の文房具、掃除道具からガラクタまでいろんなものが収納されている。

 あと、室内には40脚ぐらいのイスがあちこちに置かれていて、室内でのスムーズな通行を妨げている。実は5年くらい前までは20脚ぐらいが整然と置かれていただけだったのであるが、ある年、履修学生が急に40人を超えるという事態になって、人数が多い時には別の広い教室でプロジェクターとスクリーンを使いながら講義形式の授業をやればいいのにうっかり編集室に全員集合させてしまったら、イスに座れないどころか部屋にすら入れない学生が外の廊下にあふれてしまって、それがまた運の悪いことに外にあふれた学生5〜6人が床に座っているところを(何であいつらすぐに地べたに座るんや)偶然通りかかった学長に見つかってしまって(笑)、学長が総務を通じて「田尾さんの授業のあれ、何とかしろ」と指示を出したらしく、総務が「イスを増量する」という最も手間とお金のかからない作戦を実行したためにそういうことになっているのである。

 というわけで、今日集まったのは首脳陣と12本の特集チームのうち4チーム。首脳陣は、まず、久しぶりに設置した「助監督」の安藝と助監督補佐(もはや役職とは言えないポジションだが・笑)の安光(いずれも4年)。偶然2人とも「安」が付いた高知の“はちきん”で、あえて「安」でくくると「安(藝+光)」という式で表せるが、特にくくる必要はない。そして編集長の佐野(4年)と、副編集長の亀井侑輝と亀井涼花と平松(いずれも3年)。偶然揃った「亀井」2人をあえて「亀井」でくくると「亀井(侑輝+涼花)」という式になるが、こっちもくくる必要はないけど、くくっても普通だ。

 その首脳陣たちと4つの特集のリーダーとスタッフ合わせて25人ぐらいが編集室に集合して、今後の進行のミーティングを行った。

 作業の進め方は、「情報収集」→「集めた情報の整理分類」→「情報編集」というのが大きなプロセスである。学年別で言えば、2年生はまだ経験が浅いので「言われたテーマの情報を頑張って集める」という作業が中心。3年生は情報収集の作業に加えて、「集めた情報を完成予想図に向けてどう分類整理したらいいか」を考えながら作業を進めるという役割。4年生の作業は、もうちょっと全体を俯瞰して、「見せ方」を考えたり発行までのスケジュールを逆算して進行状況に合わせた作業計画を修正したりスタッフの役割分担を修正したりという「マネジメント」の要素が入ってくる。

 その中で、ちょっと“見えてる”スタッフは、上の学年のポジションの作業の意味がわかってきたり、収集、分類整理、企画編集、連絡指示、スケジュール管理等々のそれぞれの作業に予想外の適性を見せてくる学生がいたり、「できそう」と思った学生が意外と柔軟性がなかったり(笑)、まあ人生は長いのでこれからどうにでもなるとは思うが、そういうのに対して学生になるべく気付かれないようにものすごく気配りしながらいろんな“弾”を撃っている私である。

 それにしても、どうでもいいことであるが、ホワイトボードマーカー。全部で6つのホワイトボードのレールに数十本のマーカーが転がっているのだが、1本取って書き始めたらかすれていて、ちょっと薄いけどまだ書けるから捨てるにはもったいないし、けどくっきりはっきり書きたいから別のマーカーを取って書いたらまたちょっと薄くて、また別のに変えたら今度はくっきりはっきりでそれを使ってたら、そいつもいずれ薄くなってきて…というのをこれまで何度となく経験してきて思ったのであるが、あれ、どうにか改良してくれんかなあ。

 私の希望は、ボールペンみたいにインクのあるうちは常にくっきりはっきり書けて、インクが切れるとスカッと書けなくなるホワイトボードマーカー(笑)。

 すると、ちょっと薄くなったりかすれたりしてきた時のフラストレーションはなくなるし、スカッと書けなくなったらその場でスパッと捨てられるから、薄れてきたマーカーがくっきりはっきり書けるマーカーと外見ではわからない状態で混在してホワイトボードのレールに一杯溜まってるような状況もなくなると思うのだが。

 マーカーに限らず、こういう何か問題提起があると、そこから「できない理由」を並べてくるタイプの人と「どうにかしてできないか?」と考えていくタイプの人に分かれてくるが、私は後者でずっと何十年もやってきたので、「できない理由」には特に興味はない。そこはやるとなったら専門の人が何とかするだろうから、私の専門外のことについては、ただ投げっぱなしの「たら話」と「ない話」を垂れ流していくのみなので、悪しからずである(笑)。
2024年6月15日(土)…こんなことをしたらあんなことになる。


 人生も晩年に差しかかってきて残りの食事の回数が減ってきたこともあって、近年の我が家の外食は、
(1)味も、店の雰囲気も、店員の接客も、なるべくハズレに当たりたくない。
(2)できれば顔なじみの店で軽口の一つも交わしながら、なるべく楽しい食事の時間を過ごしたい。
の2つがメインコンセプトになっている。ま、私だけがそう思っている可能性も高いが。

 「私の外食」でなくて「我が家の外食」と書いたのは、私はここ20年来(もっとかもしれんが)、特に夕食は99%以上、家内と2人で出かけているからである。家内を伴わない夕食は大学の慰労会とか仕事関係の会食が年に1〜2回あるかないかで、あとは昼に仕事の合間に1人でうどん屋に行くぐらい。かつてタウン情報の編集長〜社長時代に「通常の食事は情報収集のためになるべく新規の店に行く」、「交友を広げるために会食は呼ばれたら必ず行く」という日々を20年以上やってきた私であるが、年齢と立場が変わって人生観もそれなりに落ち着いてきたら、それに伴って“外食スタイル”も変わってきたというわけである。

 何年か前、久しぶりに旧知の新聞社の方に会ったら、「田尾さん、時々街で見かけるんですけど、いつも奥様とご一緒ですね。それを見て、私もなるべく夫婦で食事に出かけるようにしてるんですよ」と言われたことがある。何かのお役に立てたのでしょうか(笑)。しかし一方では、これまた久しぶりに高校時代の友人と会う機会があってあれやこれやと近況を話してて、「いつも夫婦で食事に行っている」と言ったら「それが奥さんのストレスになっとんちゃうか?(笑)」と言われて、思い当たる節も無きにしも非ずで(笑)、まあなかなか難しい案件ではあるが、とりあえず毎日それなりに満足しているのでええか。

 というわけで、土曜日の夜、夫婦で外食をした後、「グランドファーザーズ」に立ち寄ったのである。我が家は夕食で外食した後、ちょっとどこかに寄る時はここ数年、上記(1)と(2)のコンセプトに従って「NAKAZORA」と「グランドファーザーズ」の二択になっている。比率は「NAKAZORA」が8〜9、「グランドファーザーズ」が1〜2ぐらいであるが、今日は「グランドファーザーズ」の近くで食事をして「ちょっと何か飲んで帰るか」となったので、そっちへ行った。

 しかし、私も家内も酒を飲まないので、家内はコーヒー、私はいつものマンゴーソーダ(笑)をオーダー。マスターや若いイケメンスタッフと向かい合うカウンター席に座って、「家のキッチンをやり替えるのに、排水口がドロドロになっているのを業者さんに見られたら恥ずかしいから事前に必死で掃除した」とかどうでもいい話で盛り上がっていた時、ふと今、阪神がソフトバンクと試合をやってることを思い出した。そこで、スマホを取り出して途中経過を確認しようとしたその時、スルッと手がすべって、ちょっと高いカウンターからスマホが木の床に落ちて「バン!」という大きな音を立てた! スタッフや客が一斉にこっちを振り向きました。

 スマホが角から落ちたのではなく、平面が完璧にそのまま、バウンドすることなく、落ちたところに張りつくように落下したため、ものすごい音がしたのだ。言うなれば、ゴルゴ13が35階建てのビルの屋上から飛び降りて落下途中でガラス越しに標的を狙撃してそのまま下の水深1メートルの貯水槽に飛び込む時、体を二つ折りにして指先とつま先が水面に着いた瞬間に一気に体を伸ばして“超ハラボテ”で「ズパーン!」と入水した時のような、あともう一回、「震える修験者」の回でも同じことをやっているが、あの時の入水状態と同じような落ち方だと思っていただければわかりやすい(わかりにくいかもしれない)。

 大きな音を聞いて、イケメンスタッフの兄さんが「大丈夫ですか」と言ってカウンターから出てきてスマホを拾ってくれた。確認したら、上向きで落ちたために画面にヒビ割れはない。とりあえず一安心して、「すんません」とか言いながら動作確認を兼ねてプロ野球のサイトを開いたら、阪神が6点取られて負けていた。「家の写真立てが落ちて割れたら、知人が何か不幸な目に遭っている…とかいう映画かドラマのシーンは、ほんまにあるんや」と思った。

 その後、家に帰って明るいところでスマホを見たら、うわ! 裏側にヒビが入っとる! 大学で学生が何人もヒビが入ったままのスマホを使ってるのを見て「お前ら、どんなことしたらそんなことになるんや!」というツッコミを何回か入れたことがあるが、こんなことをしたらあんなことになるのね(笑)。というか、どんなオチや。
 
2024年6月12日(水)…藤本渚、推し(笑)

 見出しに(笑)を付けたが、「藤本渚」に(笑)を付けたのではなく、藤本渚を推していることに対して(笑)を付けたのでもなく、昭和のおっさんが「推し」などという似合わない用語を使ってしまったことに対する(笑)である。

 私は将棋に関しては、20代の広告代理店勤務時代に会社の先輩たちと結構やっていたことはあるが、今は専ら“観る将”。好きな棋士は断然羽生善治で、次いでギリ次の世代の渡辺明と、その次の世代では豊島将之。その下の“AI世代”は「すごいなあ」という感じで見てはいるものの、ここまで特に思い入れのある棋士がいるというわけではなかった。ところが、その“AI世代”に出てきた私の注目棋士が、高松市出身、高松北中から大阪に行ってめきめき頭角を現してきた「藤本渚」(18歳、まだ5段)である。

 彼は確か2年ぐらい前に三段リーグを突破して史上最年少棋士(四段)になってプロデビュー。そこからいきなり6連勝して、7戦目の「竜王戦」6組の予選で対局会場を間違えて不戦敗になって連勝が止まるというおちゃめなプロフィールの持ち主であるが(笑)、その後がまたすごくて、昨年度はあの藤井聡太と最後まで最高勝率争いを繰り広げ、プロ2年目にして「8大タイトル」(王将、棋王、叡王、名人、棋聖、王位、王座、竜王)のうち、叡王、王位、王座、竜王の4つも予選を勝ち抜いて挑戦者決定リーグやトーナメントに登場。しかも、王位戦では羽生や渡辺、豊島らに交じって藤井への挑戦権獲得にあと一歩まで迫ったという天才ぶりを発揮している。

 そして今年は間もなく、藤井への挑戦権を賭けた竜王戦の11人による決勝トーナメントが始まる。藤本は一番下の「6組」の優勝者として出場するので、挑戦権獲得までに渡辺和史、高野智史、斎藤慎太郎、広瀬章人、山崎隆之の5人を連破してもう一つのブロックを勝ち上がってきた相手との三番勝負を突破しないといけないが、「やるかもしれない」という期待は十分、いや六分ぐらいはあるかもしれない。さらに今行われている王将戦の予選も二次予選に進出して、あと3勝すれば年明け早々に行われる予定の挑戦者決定リーグ戦に進めるというところまで来ている。

 今年の3月、高松北高の校長先生に頼まれて(「私は中学生に話すようなネタを持っていない」と言って逃げようとしたのに無理やり押し込まれて・笑)藤本の母校の高松北中で出張授業をやってきた。その時は特に藤本の話題は出なかったが、彼はそう遠くない将来に「高松北中の誇るOB」になるかもしれない。若くして注目されて伸び悩んだり道を外したりする例も多々あるが、滅多にない私の“推し”だから、そこんところはよろしくね(笑)。
2024年6月9日(日)…焼き栗とレイカ姉さんと我が家

 私が「丹波篠山焼き栗大使」を勝手に名乗っていることは、ヘビーな『うどラヂ』リスナーと団長マニア以外、丹波篠山市も丹波篠山焼き栗協会(あるのか?)も全く知らないことではあるが、こないだの金曜日に夫婦で、去年の12月以来半年ぶりの「丹波篠山焼き栗ツアー」に行ってきた。江木俊夫が笛を吹いてないのに「大使出動」である(これはさすがに細かすぎて伝わらないか)。

 9:50に車で我が家を出発。BGMにジム・ホールの名演「アランフェス」が入ったCDを薄〜くかけながら高松檀紙インターから高速に乗って、鳴門から淡路島を縦断して、明石海峡大橋を渡って兵庫県の本土に上陸して、そこから高速を道なりに北上。2時間40分ぐらい走って、12:30に丹波篠山市の中心街(といってもビルは全く建ち並んでない田舎だけど)に到着した。いつものように1時間無料の観光客仕様っぽい駐車場に車を停めて、そこからほんの100mぐらいの所にある焼き栗の店「くりの里」に向かうと、店の手前10mぐらいのところで店頭にいた店長(かどうか知らないが)のレイカ姉さんが手を振ってくれた。

 …と書いたところで「レイカ姉さんって誰や」という質問の声が私から上がったので(笑)、「焼き栗とレイカ姉さんと我が家」と題して、聞かれてもいない脱線話を挟んでおこう。

*****

 我が家が「焼き栗」にハマったのはもう18年前、訳あってイタリアに旅行に行った時に、ベローナのどっかの公園でおっちゃんが1人、屋台で焼き栗の実演販売をやっているのを見つけたのが始まりである。近づいて見たら、浅いドラム缶みたいな器に大きな焼き栗が山盛りになっていて、その一つ一つがパックリと口を開けて中からホクホクの栗の実が顔を出していた。そのビジュアルがあまりにもうまそうだったので、とりあえず10数個入った紙袋を2つ買って、1個ずつ殻をパキッと割って中の実をゴロンと出してパクッと食べながらブラブラとホテルに向かって歩いて帰ってたら、あまりのうまさに止まらなくなってホテルに着くまでに1袋半をあけてしまったという、我が家ならではの焼き栗との衝撃の出会いであった。

 しかし、イタリアは高松からおいそれと行けるところではない。

 それから数年経ったある日、京都の錦市場を散策していたら、「京丹波」という焼き栗の店を見つけた。「これだ!」と思って買ってその場で食べたら、期待通りメチャメチャうまい! 私は狂喜してあと3袋買い足したら、店の人に「焼きたてでまだ湯気が出ているので、袋の口を開けて蒸気を逃がしながら持って帰ってください」と言われた。しかし、京都から岡山まで新幹線の車内で大量の焼き栗の袋の口を開けたままにしてたら他のお客さんに副流煙ならぬ“副流臭”…はイメージ悪いな、“副流香”をなびかせてしまう。そこで一計を案じた私は、なるべく他の乗客にニオイが伝わらないように、指定席を取っていたのに焼き栗を持って乗降口の方に行って立ったまま帰るという、「指定席に座る」より「焼き栗の蒸気を抜く」方を優先するほどの舞い上がりぶりを見せていたのである。ちなみに一度、東京から新幹線で帰る機会があった時に、「焼き栗を買うため」だけにわざわざ京都で途中下車して「京丹波」に行って大量に焼き栗を買ってきたこともある。

 しかし、京都ならイタリアよりは行けるが、それでも高松からおいそれと行けるところではない。

 そんな局面が動いたのが、5年ほど前。ひょんなことから、我が家はその「京丹波」が丹波篠山市にもあることを知ってしまった。しかもその頃、我が家は年1回ぐらいのペースで神戸三田のアウトレットに買い物に行っていたのだが、丹波篠山市は三田のアウトレットからわずか30分ぐらい先にあるではないか。ということで、それから我が家では「三田アウトレット〜丹波篠山の焼き栗」、余裕があればそこに六甲山や有馬温泉の一泊を組み込んで…というドライブレジャーコースが定着することになった(といっても年に1回か、せいぜい2回であるが)。

 それを何年か続けた後、一昨年あたりから「時間をより効率的に使おう」ということで、まず夫婦で三田に行って、アウトレットで家内を降ろして、家内が買い物をしている間に私が一人で丹波篠山に行って焼き栗を買い込んで、再び三田に戻って家内と合流して高松に帰ってくるというパターンに進化(?)した。

 それがまた数年続いた去年の春、その年初めての「三田〜丹波篠山焼き栗ドライブレジャー」に行くことになって、いつものように私が三田で家内を降ろして一人で丹波篠山まで焼き栗を買いに行って、1時間半ぐらいで三田アウトレットに帰ってきて家内のお気に入りの店に行ったら、いつものように家内が店のスタッフとダベっていた(その店のスタッフは女性が数名、男性が数名いるのだが、家内はそのみんなとすっかり顔なじみになっている)。そこへ私も交じって一緒にムダ話をしていたら、何と、そこのスタッフのお姉さんの一人が丹波篠山出身であることが判明した。私が丹波篠山に焼き栗を買いに行っていることは家内から店のスタッフに伝わっていたらしく、そこからその丹波篠山のお姉さんと「焼き栗話」ですっかり盛り上がって、「これは三田アウトレット〜丹波篠山の焼き栗コースに楽しみが一つ増えた」ということで、我が家はウキウキしながら高松に帰ったのであった。

 ところが、その半年後の去年の9月、事件が起こった。三田アウトレットの家内のお気に入りの店が、アウトレットから撤退してなくなったのである。すっかり親しくなっていた家内お気に入りの店のスタッフも当然いなくなってしまった。それ以降、「あっち方面に行く魅力が半減したなったなあ」と言いながら、それでも12月になって「焼き栗だけ買いに行くか、秋の新栗がまだちょっと残っとるかもしれんし」ということで、今度は焼き栗を買うためだけに、丹波篠山方面に行くことになった。

 12月某日、テンションはいつもの半分で2時間40分ぐらいかけて丹波篠山に着いて、いつもの1時間無料の駐車場に車を停めて「くりの里」に歩いて行った。で、店頭で何袋買って帰るか考えていたら、店頭にいた姉さんが我々夫婦をのぞき込んで「あっ!」と言った。

我が家「え?!」
姉さん「あの、三田の○○にいた△△ですー!」
我が家「えーっ!!!!!」

 という奇跡の再会をしたのが、冒頭の「レイカ姉さん」です。ふー、長かった。

*****

 そういう経緯で家内がライン交換までするようになった店長(かどうか知らないが)のレイカ姉さんに、今回はうどんのお土産を持って行って(もはやただの客とは思えない振る舞いだ・笑)、2200円の大袋を9袋も買って、久しぶりの再開に30分以上も立ち話をして、3人で写真まで撮って、さらにすぐ近くにある「京丹波」でも1800円の大袋を5袋も買って、もはやお土産と言うより「仕入れ」みたいな量の焼き栗を車のトランクに積んで、そこから三田のアウトレットに寄り道をして、18:30頃高松に帰ってきて、そこから買って来た焼き栗を上原と知人の南原さんに配って、さらにもう夜の7時半を過ぎているというのに日の出製麺所の奥さんに電話をして坂出まで行って焼き栗を渡して、そこからまた高松にとって返して閉店後の「ふみや」と「ピッコロジジ」に電話して焼き栗を配って、21:30頃家に帰ったという、楽しいエネルギーを使い果たしてその日の夜は倒れ込むように爆睡した大使であった(笑)。
2024年6月6日(木)…『インタレスト』、50人で12本の企画の情報収集開始。

 10:05から「マーケティング論」の授業を1本終え、午後は13:20から「情報加工演習」という科目名で『インタレスト』の企画編集の実践演習授業を行った。だいぶ前に既報した通り、「だいぶ前に既報」いうのは「頭痛が痛い」系のフレーズみたいだがわざとなので良しとして、既報の通り『インタレスト』の次号の履修学生は50人もいるので、思案した結果、とりあえず12本の企画にメンバーを振り分けて同時進行で情報収集を開始することにした。しかし、それぞれの企画ごとに情報収集のやり方と集めた情報の分類整理の仕方が違ってくるので、1チームずつ、私が見本をやって見せて、といっても私が正解を持っていて「こうやるんだ」と示すのではなくて、担当学生の前で「とりあえずこうやって集めて、エクセルでこういう表を作って、手分けして集めた情報をこう分類して整理してみるか」と言いながらパソコンで作業をやり始めて、

田尾「うーん、この並べ方はどうや。何かわかりにくいのー」
学生「ここ、こういう項目名を一つ増やしたらどうですか?」
田尾「おー、やってみるか。んーと…するとこっちがちょっとわかりにくくなるか…」

…みたいに、試行錯誤しながら分類整理用のフォーマットを作ったり情報収集の段取りを決めていったりする…という感じの作業だ。言うなれば…何か「やって見せて、やらせてみて…」みたいな言葉があったな…と思って調べて見たら、あれだ、山本五十六の名言。

やってみせ 言って聞かせてさせてみて 誉めてやらねば人は動かじ
話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず

 1行目は見たか聞いたことのある人がいると思うが、あの名言は3フレーズあったんですね。さらに、人は「動く」「育つ」の後に「実る」があるんだということも、言われてみれば人生の1つの「原理原則」であるが、改めて「なるほど」と思わされる言葉であった。いや、調べてみてよかった。

 というわけで、『インタレスト』は前号の“締切苦”が終わって少々の油断モードの中、大人数を機能的に動かすのに苦労しながらも、「情報編集」の前段階の「情報収集」を開始しました。ちなみに、今日の『インタレスト』の授業風景を大学の総務の吉岡さんが動画で撮影に来ていたが、何かそのうち、大学のホームページのどこかにアップされるそうです。まあ恥ずかしい(笑)。
2024年6月5日(水)…団長と日の出製麺所は遠い親戚?!

 今週の月曜日の朝、「日の出製麺所」に『インタレスト』を300冊届けて、今号の私の配本の旅はほぼ終了した。「日の出」の駐車場で車のトランクから本を出していたら3代目(三好君の長男)が出てきて、本を運ぶのを手伝ってもらって(といっても1箱と半分だけど)、2代目社長の三好君も出てきたのでちょっと立ち話をして、三好君がどうしてもというので非売品の生そうめんととっておきの生うどんをもらって(笑)大学に行った。

 「日の出製麺所」が私と遠い所でつながっていることは、『うどラヂ』マニアだけが知っている「讃岐うどん界のどうでもええ話」の一つである。あれは忘れもしない3年前だったか5年前だったか10年前だったか(忘れとるやないの)、私は毎年、年末の年越しに家内の実家に行って年越しうどんや年越しそばを食べるのが恒例になっていたのだが、その頃、年越しうどんのうどんは家内の実家の親類である「田井食堂(うどん屋)」から買ってきていた。それが後に田井食堂が廃業したこともあって、ある年から違うところのうどんが出るようになったのだが、そのうどんが田井食堂のうどんよりえらいうまいので(失礼)「これ、どこのうどん?」と尋ねたら、「日の出製麺所いうとこのうどんや」と言われたのである。

 聞くと、家内の父ちゃんの従兄弟の息子さんが日の出製麺所の人と結婚したらしく、頼んだらうどんをくれるというのである。そんな話をしていたら、家内の父ちゃんがその結婚式に出席した時の親族の集合写真を出してきたので、出席者の顔をくまなくチェックしたところ、うわ! ほんまに家内の父ちゃんがおるし、日の出の奥さんもおるではないか!

 整理すると、私の家内の父ちゃんの従兄弟の息子さんの奥さんのお姉さんの旦那が三好君である。反対からたどると、三好君の奥さんの妹さんの旦那さんのお父さんの従兄弟の娘の旦那が私である。つながっとるやないか!(どうでもええわ)

 というわけで、一昨年、三好君から「長男の結婚披露宴でスピーチしてくれ」と頼まれた時に「親戚はスピーチせんのちゃうか?」と言って逃げようとしたら「そんなもん、ほとんど他人ですよ」と言われて仕方なくスピーチをしてきたのであるが、後で調べたら「親族」というのは6親等までなんだそうですね。しかも、さっきの私と三好君のつながりの中には親等に関係ない「配偶者」があちこちに入ってるので、まあ、一言で言うと、他人じゃ(笑)。けど、「線引いたらつながることには違いない」という関係ではある。

 あと、余談ですが、私と三好君のお父さんは何と、誕生日が1月20日で同じ! さらに、三好君の奥さんは私と誕生日が1日違い! 田尾家と三好家は誕生日の大渋滞です(笑)。

 さらに余談ですが、1月20日が誕生日の有名人は、文人では尾崎放哉、有吉佐和子。俳優では片岡千恵蔵、三國連太郎、南果歩。歌手では太田裕美、矢口真里。お笑い界では上島竜兵。美容家では山野愛子、鈴木その子、IKKOさん。アナウンサーでは竹内由恵。映画監督はフェデリコ・フェリーニ。スポーツ界ではラグビーの松尾雄治と相撲の“おにいちゃん”の方の若乃花(花田虎上)。物理学者では「右ねじの法則(右手の法則)」を発見したアンドレ=マリ・アンペールというそうそうたるラインナップであるが、さらに何と、足利義政も1月20日生まれであることが発覚した。うーむ、すごいのか…すごくないのか…。応仁の乱の後始末をほったらかして銀閣作ったやつだからなあ(笑)。
2024年6月2日(日)…「麺通団団長web」、準備中。

 『インタレスト』の申し込みメールがぼちぼち来始めているのでいくつか読んでみたら、「団長日記が更新されていてびっくりしました」というメッセージが何通も寄せられていました(笑)。こないだ、他称“田尾ウォッチャー”の団員Dからも「どしたんですか。しかも長文続きで」と言われたが、すみません、ちょっと訳がありまして。

 実は、この「団長日記」は元々、2002年だったか2003年だったか、「東京麺通団」がオープンした時に私と故勝谷誠彦さんがアドバイザーみたいな形で関わることになって、その時に勝谷さんから「何か書き続けていないと書けなくなるよ」と言われて、じゃあということで「東京麺通団」のHPに「麺通団オフィシャルサイト」という、オフィシャルというほどの活動もしてないのに無理やりそんな名前を付けて、その中で書き始めたものなのである。それがもう「東京麺通団」から離れて10年にもなろうかなるまいかというのに、「そのままあのサイト内に居座っているのもいかがなものか」という意見が私から上がって(笑)、

(1)すっぱりと「団長日記」を終了し、この「麺通団オフィシャルサイト」を閉鎖して、平穏な余生を暮らす(笑)。
(2)「麺通団オフィシャルサイト」を閉鎖して、「団長日記」などを展開する別の団長のサイトを始める。

の2択を迫られていたのである。「誰に迫られていたのか?」と問われると、それから10年近く経っているということは、大して誰にも迫られてなかったとも言えるのであるが(笑)、そしたら半年ぐらい前、ある縁があって「安く作れますよ」という話が舞い込んできて、「じゃあ、新しく『麺通団団長web』を作ろうか」という話になって、ようやくぼちぼちと下準備に入ることになったのである。しかし、勝谷さんの言った通り「何か書き続けていないと書けなくなる」という感じが薄々してきて怠け癖が付いてしまった私に、もう一回「ほぼ毎日」の日記を書き続けるエネルギーが出てくるのか? という不安が頭をもたげてきて、エネルギーの残量を確認するために今、ちょっと頑張ってみている…というのが、突然日記を頑張り始めた大きな理由の一つである。行けるかな。『超麺通団5」を行くとなったら、事前にエンジン噴かしとかないかんような気もするし。

 というわけで、何ヶ月後になるかわからんが(サイト構築担当者からは「コンテンツが揃ったら1〜2カ月でオープンできますよ」という返事が来ているが)、そのうちこのサイトは閉鎖して新しく『麺通団団長web』に移行するか…という方向で計画中なので、そのあたりの進捗具合はまたこの日記で報告していきたいと思います…でなくて、報告します(笑)。

 今日はその打ち合わせがあったので夕方6時過ぎに家に帰ったら、家内が「ふみやに行こう」と言ってきた。

田尾「ふみや、もう時間が危ないんちゃう? 6時半にはのれんが入るで。今から準備して行きよったら、6時半過ぎるわ」
家内「じゃあ、電話しとく」

と言って家内が「ふみや」に電話をした。

田尾「何て?」
家内「『早よ来て』言われたけん、『今から出るから、もつ焼きとかしわそば焼いといて』言うた(笑)」

 何か、こないだの「ピッコロヂヂ」に続いて「閉店ギリギリに電話で滑り込む」という、いずれも気心の知れた店ではあるが「迷惑なカスタマー(笑)」続きの我が家ではある。「ふみや」、案の定、最後の客になって、いつものように閉店後20分近く大将と女将さんとムダ話をして、『インタレスト』を置いて帰りました。
2024年6月1日(土)…『インタレスト』配本2日目。清水屋〜山越〜山内〜田村

 『インタレスト』の私の配本コースはここ数年大体同じで、夕方3時半頃大学に納品された本を、まずはその日のうちに「なかむら」と「がもう」と「大島家」と、時間が早ければ間に「日の出製麺所」を挟んで回って、夜はイタリアンの「ピッコロジジ」とお好み焼きの「ふみや」とカフェバーの「NAKAZORA」あたりの行けるところへ寄って、翌日は朝から「清水屋」〜「山越」〜「山内」〜「田村」と回ってくるという行程である。

 こないだ、「山越」のお土産売り場にいる山越の“お姉ちゃん”に「田尾さん、何でいつも田尾さんが持ってくるん? 学生に配らしたらええのに」と言われたが、それは私の生き方(山本七平先生が使っていた「行き方」)だからである。『インタレスト』は、学生たちにはそれぞれ担当部数を持って友人、知人、バイト先等、配れるところに配らせ、高松駅等には大学の職員が配布していたりするのであるが、「讃岐うどん巡りブーム」の黎明期から今日まで現場を共にしてきた大事な“戦友”であるうどん屋さんに物を頼みに行くとなれば、当然「対面が基本」というのが、昭和のおっさんの矜持なのである。こないだから「矜持」の連発であるが、使い方、間違ってないだろうな(笑)。

 ちなみに、あと10〜20軒ぐらいのうどん屋さんには団員DとH谷川君が配本してくれているが、彼らもおそらく懇意な店に私と同じように対面でたわいのない会話の一つも挟みながら置いてもらっている(と思う)。デジタル化と効率化が急速に進む今日ではあるが、長らく“対面のコミュニケーション”の時代を生きてきた我々は、便利なデジタル化を利用しつつも、少なくとも身の周りの人たちに対してはできるだけ「対面野郎」でいようと思っているのである(ここは「思っている」にしとこう・笑)。では、本日の行程。

9:00 「清水屋」に到着。店は10:00からなのでまだ店は開いてないが、駐車場に車を停めてトランクを開けて『インタレスト』の箱を出そうとしていたら、それを見つけた大将が表に出てきた。

清水「いつもご苦労さんです」
田尾「またよろしくお願いします。うどんを食べていきたい気持ちは山々なんですけど、この後、山越と山内と田村に行かないといけないので…」
清水「でも、山越はいつも、本持って行ったらうどん食べてるんでしょ?」
田尾「もちろんや。こんな面倒な本を置いてもらってるんだから、行ったらうどん食べるのはマストやないか。ただ、山越も山内も田村も行ったら店が開いてるけど、清水屋さんだけ営業開始前やから、本当に食べたい気持ちは山々なんやけど、涙を飲んで通過せざるを得ないという、辛い選択や」
清水「それ、回る順番を変えたら済むんちゃいます?」
田尾「え? 何? ちょっとよく聞こえんかったんやけど」

などといういつもの定番の愛情に満ちあふれたやりとりをしながら(笑)、10分ぐらい四方山の立ち話をして、本を100冊渡して清水屋を後にする。

9:30 山越に到着したら、もうすでに例の「電柱」のところまで行列ができていた。「これはうどん食べとる場合でない」と思って、お土産売り場にいるお姉ちゃんに400冊を渡して、「行列がすごいから、今日は食べんと行くわ」言うて「山内」に向かう。

10:30 山内に到着。山の上の店の前の駐車場は右奥の4台分のスペースのうちの2台分が空いていたが、そこに、私の前に上がってきた県外ナンバーの軽が、駐車スペースのラインを無視してタテでなくて横向きに停めて店に入ろうとした。乗っていたのはおばさん2人組。そのうち1人は車を降りるとスタスタと店の入口の方に行ってしまったので、続いて車を降りてきたもう一人のおばさんに「車、こっち向き。下にヒモ張ってあるから」と言ったら、「はあ?」みたいな態度で無言で車を停め直した。ちょっと気分悪かったけど、まあええかと思って『インタレスト』を200冊持って店に入って、てっちゃんに「持ってきたでー」言うて渡して(「山内」も「なかむら」も若大将は「てっちゃん」です)、大とゲソ天を食べて、「にしきや」の「ザ・ピーナッツ」を4袋買って店を出たところで、年配のご夫婦とその息子さんご夫婦なのかご兄弟なのか、4人組のご家族に声を掛けられた。

年配夫「あ、あの、田尾さんですか?」
田尾「はい」
年配「うわ! ほんとに田尾さんだ!」
田尾「あ、どうも」
年配「いや、私ら北海道から、これを読みながら来たところなんです」

と言って、ボロボロに読み込んだような『恐るべきさぬきうどん』の第1巻を出してきた。

田尾「うわ、メチャメチャ使い込んでますやん!」
年配「そうなんですよ。今日は朝からずっと、車の中でこれをみんなに読み聞かせながら走ってきたんです!」
田尾「読み聞かせながら! それはまた大変な道中でしたね(笑)」
年配「それでみんなで『こんなおもしろい人がいるんだ』とか言いながら来たんですけど、まさか今読んでた人が目の前にいるなんて! いやー、こんなことってあるんだ! あの、この本にサイン、いただけますか?」
田尾「いいですよ」

と言いながら、奇跡的な出会いにこっちも感激して、牛のイラスト付きのサインを書いてあげました(笑)。

11:30 「山内」から大きく引き返して「田村」に到着。『インタレスト』を50冊持って店に入ったら、数人の客が並んでいる奥で大将と女将さんが忙しそうに動いていた。どうもご近所さんが30玉ぐらい持ち帰りの注文をしているらしい。それが捌けて3〜4人後に奥の敷居をまたいで中に入ったのに2人とも下を向いて忙しそうにしたまま全然気がついてくれんので、ちょっと大きめに挨拶をした。

田尾「こんちわー」
大将「あら、田尾さん」

というやり取りの声を聞いて、背中を向けて玉取りをしていた女将さんが振り向いた。

女将「あ! 来た!」
田尾「お久しぶりですー」
女将「言わないかんと思いよったんや!」
田尾「な、何ですか、またうちの若いもんが何かやらかしましたか」
女将「『天かすないんか』いう客がまだ来よる!」
田尾「あっはっは!」

 「田村」は行った人ならご存じの通り、店には天かすは置いてないのだが、実は数カ月前にH谷川君が「田村」に行って、一般客がとても入れない奥の部屋で常連客がうどんに天かすを入れて食べているのを見つけて、それを『うどラヂ』でしゃべったのである(一応大将に「しゃべってもええですか?」と確認は取ったらしいが)。すると、それから何度か「天かすがあるんか」いう客が来たらしくて、それ以降、私が行く度に大将が「『天かすないんか』いうお客さんが来るんやがな(笑)」と笑いながら言ってくるのであるが、久しぶりに女将さんが店に出てる時に行ったら、いきなりツッコまれたやないの(ま、カッコ笑いつきですが・笑)。

田尾「ほんますんません。ちゃんとラジオで『田村で天かすくれ言うな』って言うときますんで」
女将「あれ、影響力あるんやなー」
田尾「すんません、再放送も始まって、何か聴いてる人が増えたらしくて。あと、女将さんが藤井フミヤのコンサートに行って店を休んだこともポッドキャストで世界に発信されてますけど、どうしましょう」
女将「ほんまにもう! それも言われたわ!(笑)」

などという、汗だくで部下の不始末の尻ぬぐいをしながら、また一歩、大将と女将さんの懐に入り込んでちょっとうれしい団長でした(笑)。以上、本日の配本ドタバタ話はここまで。
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