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2024年07月の日記
2024年7月21日(日)…「麺通団団長web」を公開したので、「団長日記」はそっちに移行します。

 そういうわけで「麺通団団長web」ができたので、「団長日記」はそっちに移行することになりました。行き先は、

https://tao-kazutoshi.com/

です。大した驚きもないシンプルなサイトですが、『インタレスト』のバックナンバーも全部読めるようにしたのと、『うどラヂ』や「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」へのリンクも張ったので、一応私の大学の授業以外の活動概要はここに集めてみたということで、よろしくお願いします。
2024年7月15日(月)…今、「八十八庵」の打ち込みの麺がすごいみたいだ。

 四国霊場88番札所・大窪寺の門前にある「八十八庵」は言うまでもなく「田舎風打ち込みうどんの最高峰」、そして「うどん屋のおでんのこんにゃく界の最高峰」(いずれも団長比)なので、我が家から1時間以上かかるというほとんど“旅”みたいな距離にあるにも拘わらず毎年1〜3回ペースで行っているというお気に入りの店である。しかも、行く度に大将と女将さんがうどんやこんにゃくをお土産にくれて、あまりに申し訳ないのでこっちも5回に1回ぐらい三越の地下で「とらや」の羊羹なんかを買って持って行くという、持っていく物とくれる物を差し引きすると“朝貢貿易”みたいな関係を続けているのであるが、こないだのある日、牟礼の松本君ちにUSBメモリを返しに行くついでに「うどん食べに行こう」ということになって、「どうせなら遠征するか」ということで、そこから志度経由で片道45分ぐらいかけて、我が家夫婦と松本君の3人で半年ぶりに「八十八庵」に行ってきた。

 店に入って女将さんに挨拶して、いつものように「打ち込み」を頼んで「おでんのこんにゃく」を取って待っていたら、厨房の奥から大将が出てきた。

大将「田尾さんこれあげるわ」
田尾「うわ、『にんにく卵黄』やないですか」

 一部のヘビーな『うどラヂ』マニアならご承知の通り、「八十八庵」の大将と女将さんは10年ぐらい前に健康食品の「にんにく卵黄」のCMに出たのであるが、あれ以来、大将も女将さんも、何かツヤツヤしている(笑)。

田尾「大将、『にんにく卵黄で10年経ってもこんなにツヤツヤ!』とかいうて、もう一回CMに出たらどうですか?(笑)」
大将「それがな、また出るんやがな」
田尾「え?」
大将「『10年経ってもこんなに元気』とかいう台本で、こないだ撮影に来た」
田尾「あっはっは! みんな考えること一緒なんや(笑)」
大将「放送日、そこに貼っとるけん」

 見ると、おでんの横の壁に「健康家族コマーシャル」という手書きのタイトルで、放送日時と放送局のリストが書かれた紙が貼られていました。今日時点でまだ見られるのはあと2本。

●7月18日(木)16:30…BS-TBS
●7月24日(水)14:56…BSテレ東

だそうです(笑)。それにしても、こないだはNHKの『鶴瓶の家族に乾杯』で松山ケンイチさんが来てたし、その前はテレ東の『ニッポンに行きたい人応援団』の“受け入れ先”になって本放送と再放送が流れたし、近年の「八十八庵」はなかなかテレビづいている。あと、子どもの頃から山口百恵の大ファンだった松本君が店内に飾られている三浦(山口)百恵さんからのお手紙やキルトを見て狂喜乱舞していました(笑)。

*****

 ちなみにこの日、「八十八庵」の「打ち込みうどん」の麺が、創業以来トップ3(団長比)に入る素晴らしい出来であった。といっても、「八十八庵」は昭和34年創業でほぼ無休で営業しているからこれまでの営業日は360日×65年=約2万3400日で、そのうち私が行ったのはたぶん30回ぐらいだから「780分1のチェック」による感想だけど(笑)。

 「八十八庵」の「打ち込みうどん」は、あの“打ち込み汁”があまりにもうまいので、どんな麺が入ってきてもたぶん満足度をそう損ねることはないのだが、私は基本「麺食い」なので、いかに麺をあまり問わない「打ち込みうどん」と言えど、いつも麺の出来には気を止めていたのである。そんな私の記憶によると、まず、1990年代の「八十八庵」の「打ち込みうどん」の麺は、表面に適度なザラつきがあって伸びが抑えられた、まさに「打ち込みうどん」にぴったりの絶妙な田舎麺であった。それが2000年頃から「さぬきの夢2000」を使い始めて、あの頃「さぬきの夢2000」は「ブツブツ切れる」とか言われて散々の評判だったのであるが、しかしあの「ボソ、ゴワ系」の麺は「打ち込みうどん」には割と合っていたと思う。

 その6年後、「さぬきの夢2000」の欠点を改良したという触れ込みの「さぬきの夢2006」が出てきて、麺にちょっとツルツル感が出てきた。そのせいで、普通のうどんは「夢2000」よりずいぶん作りやすくなったという声をいろんなうどん屋さんから聞いたが、「八十八庵」の田舎風打ち込みうどんとの相性となると、あのツルツル感は「麺食い」としては微妙なズレを感じなくもない…と思っていたのである。もちろん、珠玉の“打ち込み汁”は全くブレないので満足度は十分であったが。

 ところが、去年の11月に行って打ち込みうどんを食べたら、麺の様相が一変していた。麺が突然、にゅるにゅると柔らかくなっていたのである。私がちょっと怪訝な表情をしたのを厨房の中から見ていたのではないと思うが、食べ終えた頃に大将が出てきて言った。

大将「どうでした?」
田尾「麺が何か、だいぶ変わったみたいな…」
大将「今年から『さぬきの夢2023』になったんです」
田尾「やっぱり変わったんですか」
大将「伸びは出てきたんですけどね」

 という会話があって、私的には「ちょっとあの麺は天下の八十八庵の打ち込みにはどうかなあ…」と思っていたのであるが、それから半年経ったこの日の麺は、完璧であった。

田尾「今日の麺は姿を見た瞬間、これはええぞ! と思ったんですけど、食べたらもう、創業以来トップ3に入るぐらいうまい!」
大将「ありがとうございます。今ちょうど、新麦が出たところなんで」
田尾「同じ夢2023?」
大将「夢2023」
田尾「同じ小麦なのにこんなに違うんですか!」
大将「何か、天気のせいか畑のせいかわからんけど、今年のは去年のより間違いなくええみたいですね」

 何か、私ら素人にはよくわからんけど、そういうことらしい。うどん用小麦粉の善し悪しは、総合的な差異は間違いなくあるとは思うが、その上で、年ごとの出来不出来とか、もちろん扱う職人の腕の差異とか、いろんな単発的な要素がかなり評価に影響を与えることを改めて思い知らされた。

 ちなみに今年は閏(うるう)年で、四国霊場88カ所巡礼の「逆打ち」の年だから、いつもは巡礼の最後になる88番の大窪寺が今年は巡礼の最初のお寺になる。すると大窪寺の門前の「八十八庵」はいつもより繁盛すると思ったらそうではなくて、大窪寺に参拝に来た人の多くが「八十八庵」でうどん食べて一服することなくすぐに次の87番に向かうから「逆打ちの年は客が減る」のだそうだ。

 あと、巡礼の「逆打ち」は「ぎゃくうち」と言うそうだが、私はもう30年来、ずっと「さかうち」と読むのだと思っていた。何でそんな勘違いを思いこんでいたのか記憶を辿ってみたところ、どうもタウン情報時代に当時の穴吹工務店に仕事で出入りしていた時、建築工事の工法に「逆打ち(さかうち)」というのがあるのを聞かされていたことが原因ではないかと思い当たった…という、ちょっと豆知識で締めてみたがどうか。「どうか」と言われてもどうかと思うが(笑)。
2024年7月10日(水)…何ちゅうタイミングで見つかるんや。

 昨日は久しぶりに「日の出製麺所」に“親戚のおっちゃん夫婦”で出動した。厳密には親族じゃないが、「おもろい方が事実になる」という麺通団の原則に従って、もはや我が家はそういうことになっている(笑)。で、いつものようにうどんが食べられる時間の終了間際に行ったら、三好君は朝から出張、女将さんも用事で出かけていなかったので、顔なじみの店の姉さん方と軽口を交わしながらうどん大と揚げを食べ終え、お土産のうどんを5袋買って店を出た。

 そこから、せっかくこっちの方に来たので南にちょっと足を伸ばして、飯山の産直「讃さん広場」に行く。「讃さん広場」は、毎朝9時のオープンと同時にお客さんがなだれ込んで5列あるレジがあっという間に全部行列になるという、「なかむら」の女将さんが「私や店が終わって行ったら、もう何ちゃないんで」と嘆くほどの“激”人気の産直である。この日は昼の1時半頃に行ったので客は広い店内に数十人とまばらだったが、売り場の商品もすっかりまばらになっていて、とりあえず桃とナスと、1パックだけ残っていた「西山さんの餅」を購入して店を出た。

 そこから旧道を通って国分寺〜鬼無経由で高松の自宅に帰る途中、「植木、見て帰ろうか」ということになった。このあたりに来ると時々鬼無の「山地緑化センター」を覗いたりするのだが、今日はそこを通過して、今まで行ったことがなかった「ファミリーガーデン」という店に初めて入ってみた。

 表に並んでいる植物を一通り眺めた後、店内に入ってあれこれ見ていると、家内が奥のエリアに入っていって、店主らしきお兄さんと何やら話している。遅れて私もそっちに行ってみたら、家内が店主に(もう店主だということにしとく)「家で観葉植物の大きいのをこれまで何回も枯らしたんやけど、何がいかんかったんやろ」とか相談していた。それに店主が「日当たりは? 水は? 温度は?」…等々、丁寧に相談に乗ってくれている。それから店内の植物をいろいろ説明してもらって、そのうち他のお客さんが来て店主がそっちの応対に行っている間にこっちはさらに吟味に吟味を重ねて、店主が帰ってきたので、

田尾「これがええ感じなんやけど、普通車に積めるかなあ」
店主「2mぐらいあるからちょっと無理かもしれないですけど、そんなに遠くなければお届けしますよ」
家内「どうしようか。とりあえず今日はこっちの小さめのやつにしとこうか」

 などと言いながら、大きい葉っぱが20枚ぐらいフワッと付いた1mぐらいの高さの観葉植物を1つ買うことにした。で、家内がレジでやり取りしている間に、私は表の駐車場ですっかり熱くなった車のエンジンをかけてエアコンを全開にして冷やしていたら、しばらくして店主が買った植物を抱えて家内と一緒に車の所にやって来た。

店主「後部座席か助手席か、どちらに入れましょうか?」
田尾「じゃ、後ろに入れてください」
店主「わかりました、失礼します」

 と言って後部座席に観葉植物を入れようとした店主が、そこに積んであった「日の出」のうどん5袋入りの紙袋を見て言いました。

店主「さすがですね。やっぱりうどん積んでらっしゃる」
田尾「バレとんかい!(笑)」
店主「常備されてるんですか?」
田尾「するかい!」

 久しぶりに「日の出」で買うたうどんが、何ちゅうタイミングで見つかるんや(笑)。
2024年7月1日(月)…「うどんの日」を制定したのはどこ?

 先週、吉本興業文化人マネジメントのマネージャーから「朝日放送ラジオの『おはようパーソナリティ小縣裕介です』から電話出演の依頼があった」という連絡があった。内容を聞くと、「7月1日が『うどんの日』なので、それに絡めて7月2日の朝7時15分頃から15分間ぐらい、『讃岐うどん巡りブーム』の話をしてくれ」とのこと。まあそんなことならお安い御用なのでOKを出したら、放送前日の今日(1日)の朝10時半頃、リモートで簡単に打ち合わせをすることになった。

 慣れないリモートをセッティングして、ほんまに慣れないのでマネージャーに電話で指示してもらいながらセッティングして、パーソナリティの小縣さんと30分ぐらいやりとりをした後、「後で当日の進行表を送ります」ということで打ち合わせを終了。夕方頃、その進行表がメールで届いたので見てみると、その冒頭のナレーション原稿にこう書かれていた。

「今日(7月2日)は『うどんの日』。香川県生麺事業協同組合が1日の半夏生にちなんで、制定しました」

 うーむ、おそらくネットで調べた情報だと思うが、ちょっと日付が迷走してるぞ(笑)。確認してみると、「うどんの日」は7月2日で正解。で、半夏生は「夏至から数えて11日目」とあって、たいていはそれが7月2日なので「うどんの日」もそれに合わせて7月2日になっているそうだが、今年は何か暦の関係で7月1日が半夏生の日になっている…ということらしい。

 そしてもう一点、「『うどんの日』は香川県生麺事業協同組合が制定した」とあるが、実はそれがちょっと怪しいことになっている。「なっている」というか、私が数人の仲間と行っている讃岐うどんの過去を発掘する「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の中でその怪しい事実を発見したのであるが。

 まず、ネット内で「うどんの日」を検索すると、おそらくどこをどう探しても「香川県生麺事業協同組合が制定した」という記述しか出てこないと思う。なぜなら、行政や組合や組合員である大手うどん店のホームページにそう書いているからであって、その他、巷にあふれるブロガーの類の皆さんもその行政や組合等の情報を引用しているからである。そして、その「うどんの日」の制定年はどのサイトを見ても「1980年」と書いてある。

 しかし、我々は「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の中の一企画で綿密なる新聞記事発掘作業をやっている途中、見つけちゃいました(笑)。香川県生麺事業協同組合が「うどんの日」を制定したとされている1980年の2年前、1978年の7月2日の四国新聞に、香川県と香川県観光協会が「7月2日(半夏)・うどんの日」と題して、でっかく全ページ広告を出しているではありませんか。

 その広告紙面は「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の「新聞で見る昭和の讃岐うどん・昭和53年(1978)」の中に再掲してあるので間違いのない事実であるが、さて、この新聞広告と「1980年に香川県生麺事業協同組合が制定した」という今や定説となっている情報に、いかなる整合性があるのか? ちなみに1980年の新聞に「香川県生麺事業協同組合が『うどんの日』を制定」という記事は見当たらなかったが、そんな話を切り出したら番組がそれだけで終わっちゃうので、本番では触れないでおこう(笑)。
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